「烟突のあるオアシス」

 

人 物
    きぬこ  夢みるようなかわいい娘
    福 田  色の白い青年
    大 沢  角ばった顔の労働者
    よしこ  丸顔のたくましい娘
    ナツコ  ちいさい小娘
    主 人  物識りらしき中年の男
    若 者  色浅黒く少し悲しい顔の男
    その他、喫茶店の客(男女適当に)
   
    舞台の中央に一本の大きな植木鉢、その緑の葉はオアシスを想わせる。その葉のまわりに配された卓と椅子。
    あかるい色の壁にかけられた幾つもの額、それはみな「烟突のある風景画」。烟突のあるオアシス――そういう感じがする喫茶店「烟突」の店の中。
    この店の壁ひとつむこうの戸外は、煤煙と埃によごれた空気、神経をいら立たせる騒音がいっぱいだ。喫茶店「烟突」は工業都市の片隅にあるオアシスでもある。
    上手より入口に扉ひとつ。この扉が開くとまるで嘘のように戸外の騒音が舞台に侵入してくる。
   
    カウンターやレジスターは物陰になっているか、あるいは一部をのぞかせていてもよい。

    第一景

    ある休日の夕方、店の卓は客でふさがっている。そのひとつの卓に福田がひとりで坐っている。
    音楽が流れている。
    くたびれた服装の主人がウェイトレス姿のナツコに説明をしている。
   
主 人  オアシスなんだよ、ここは。お客さんは夕方になると疲れた体にいこいを与えるためここに集まっていらっしゃる。(入口の扉か片手で押す。どっともの悲しき音の群れ、チンドンヤのクラリネット、トラックの排気音、急行電車のサイレンなどがとび込んでくる)ほらね、心をささくれ立たせる音の波と細かい微粒子の群れで、うすねずみ色に汚された空気が、(手を放すと扉は閉り騒音は消える)この扉の外では舞い狂ってるというわけだ。
ナツコ  ええ、でも「烟突」なんてヘンテコな名前、なぜつけたの? て、ひょっこり訊かれることがあるの。オアシスには夢がいるんだって。
主 人  その夢にふさわしくない、というのだね、「烟突」というこの店の名が。壁にかけられているこれらの烟突の画が……
ナツコ  そうなンのかしら?
主 人  さよう、しかしここは砂漠じゃない。砂漠の楽園じゃない、烟突に囲まれた街中のオアシスさ。烟突はこの生々と仕事をしつづげる街のしるしだ。それをちょっぴりこの雰囲気の中にも残しておきたいのさ。(店の奥に退場)

    店の客、二、三人出入りするもよし。
    ジャンパー姿の若者が、ナツコにまつわるようにして、

若 者  ナッちゃん、なあ、ナッちゃん。おれの夢はいつ実をむすぶんだろうねえ、こいつあ。(深いため息をついてみせる)
ナツコ  (冷たく)夢なんか当てにしちゃダメ。(彼女の注意はひとりでいる福田にそそがれる)あの人もなにか待ってンのよ。それがなんだかわからないけれど、待っているということは、あたしにわかるんだ。(きぬこが外から入ってくる)いらっしゃいませ!

    きぬこはお洒落な美しい娘、席かなくてためらう。ひとりでいた福田が突然腰を浮かし、

福 田  あの、ここの席……
きぬこ  いいんです、どうぞ。
福 田  ぼくなんか、ただぼーっとしてるだけですから……
きぬこ  (そのことばに微笑んで)じゃ、ごめんなさい。(彼の前の席に腰を下ろす)

    福田は立って行こうとする。

きぬこ  あたし、ひとりですから。
福 田  じゃ……どうも。(遠慮深くまた腰を下ろし、きぬこに視線を向けないように、壁の画を眺める)
若 者  (ナツコに)ロードショウみにゆこうよ。
ナツコ  もったいない、高いお金だして。
若 者  (ガッカリする)もったいなか、ねえんだがな。
ナツコ  (きぬこの席に水を運んできて)なんにいたします。
きぬこ  ……ココア。

    きぬこは横を向いて化粧を直す。福田が腰を浮かす。

福 田  あちらの席があいたので失礼します。
きぬこ  あら、それじゃ、あたし……
福 田  いや、いいんです。
きぬこ  でも……
福 田  でも……
きぬこ  お邪魔でなければ。
福 田  あの、かまわないんですか?
きぬこ  どうぞ、あなたこそ。
福 田  (腰を下ろす)スモッグ、スモッグばかり毎日……
きぬこ  ゆーうつね。
福 田  夢がなさすぎますね、この街は。
きぬこ  あたしたち、毎日のお仕事もね。
福 田 (同感を強く示して)そう、そうですね。

    間

きぬこ  この街の会社におつとめ?
福 田  ええ、
きぬこ  烟がいっぱいでる会社?
福 田  いいえ、烟はでません。
きぬこ  ではなにこさえる会社?
福 田  なんだと思います。
きぬこ  大きなもの? 小さなもの?
福 田  さあ……
きぬこ  わかったわ。小さなもの。
福 田  そう、小さいけれど精巧なもの。
きぬこ  電機関係。
福 田  あたりました。
きぬこ  じゃ、あたしもそう。
福 田  そうですか。……どんな仕事を?
きぬこ  でもあたしの仕事、電機と直接関係ないの。
福 田  というと?
きぬこ  叩いてるの。
福 田  キィ・パンチャー
きぬこ  ち・が・う。
福 田  じゃ……タイプ。
きぬこ  そうなの……英文なんですけど。
福 田  すごいですね!
きぬこ  そうかしら。
福 田  特殊技能だし、
きぬこ  たかが英文タイプよ。あたしの仕事。
福 田  そうですか。いや、仕事というものはなんによらず……
きぬこ  あなたのお仕事は?
福 田  (はにかむ)……ま、技術の端くれを……
きぬこ  あら! 技術者。
福 田  といっても、ぼくらの会社、あまり大きくないし。
きぬこ  でも、むずかしいでしょう、お仕事。
福 田  むずかしいといえば、むずかしいし。
きぬこ  前途有望だわ!
福 田  いいえ、たかが中小企業で。
きぬこ  (いささか力をこめて)いいえ、かえって大企業はダメだわ。仕事はきめられちゃってるし、お給料も昇進も全部エスカレーターでしょう。
福 田  でも現代は、それで。
きぬこ  いいのかしら? そう思う?
福 田  そう言われると……
きぬこ  わたしはいやだわ。会社のお仕事の部分品になっているんだなあと考えると、毎日毎日同じことを……だから思いきりひとりぼっちになりたいの、仕事から離れてみたいの……
福 田  そう! 同じだなあ……。ぼくらは次々と重なってくる仕事の山に、自分というものがわからなくなるんですよ。
きぬこ  でも技術者はそれがとても生き甲斐なんでしょう。うちの会社にもいてよ、仕事の鬼っての。
福 田  ……でも忙しすぎるんです。ぼくの仕事なんか……
きぬこ  そうかしら、あなたは幸福そうにみえるわ。
福 田  そうかな……ええ、幸福です。
きぬこ  うらやましいわ。
福 田  どうしてかな? その、ぼくが幸福だっていうのは……(口ごもる)
きぬこ  なあに? なにか意味があって……
福 田  あの……こんなこと言ったからって、ぼく……(勇気を出して)あなたのような、きれいな方と思いがけなくお話できて……(下を向く)
きぬこ まあ!
         
          ナツコがココアを運んできて、二人を思わずみつめる。がっかりした身振りで若者が外に出てゆく。ゆっくりと扉を開ける。もの悲しい騒音がさっと入ってくる。

 

    第二景
   
    雨のシトシトとふる静かな夜。
    ぬれたガラスの扉に、外の燈影が乱れうつる。
    店の中にも、みえない雨がふりしきるごとく、しめやかに流れるシャンソンのメロディ。主人――雨にぬれたガラス戸をみながら静かに口ずさむ。そばにナツコと若者。
   
主 人  都に雨のふるごとく、わが心にも涙ふる。……心の底ににじみいる……
ナツコ  (笑う)フフフ。
主 人  なにをこの娘は笑っている?
ナツコ  なあに、いまの文句?
主 人  ふるい詩のこころさ、いまの君たちにはわからない気持さ。
若 者  おれにはよおくわかるよ。

    ナツコは二人から離れて客の方に。

主 人  あの娘はまだ無邪気なんだぜ。
若 者  知ってるよ。おれが臨時工なもんだから、だからナッちゃんは。
主 人  ここはオアシスさ。忘れた方がいいんだよ。臨時工だ、本工だ、工員、職員だ、上役だ。下役だ。……人間か仕事をしていくためのわずらわしいそういった名前、ここはそれを忘れるためのところ、ひとりの人間にかえるところ、それがわたしがこの店にたくした夢なんだ。
若 者  コーヒー一ぱい六十円也の夢か。
主 人  高かないよ、六十円では。ね、雨をごらん、だれの上にも平等にふっているだろう。
若 者  でも、ピシャピシャぬれて歩く奴もいれば、タクシーですーっと飛ばす奴もいるよ。
主 人  わびしいことを言うね。(ため息をつく)

    若者は自分の席に腰を下ろし、ナツコは客にサービスし、主人は新聞をみる。一つの席に向きあって、熱心に話し合っている男女、大沢とよしこ。

大 沢  (いぶかし気に)わかるのかい?……彼女が恋をしているなんて。
よしこ  お化粧の仕方や目の輝きに、それは自然にあらわれてくるものなの、ホルモンの作用なんでしょう。
大 沢  (やや虚勢をはって)へ、へ、へえ、相手はだれ? 現場の者?
よしこ  あの人、現場の工員なんか。(否定の意味)
大 沢  そうかなあ……そりゃどうして……
よしこ  きらいなのよ、朝から晩まで、テレビの部品に追いかけられて、フウフウいっているのなんか。
大 沢  (少し声高になる)自分だって労働者じゃないか。
よしこ  なに大きな声するの?
大 沢  (声を低めて)自分だって、朝から晩まで部品に追い廻されているくせに。
よしこ  (ニヤリとする)あんた、少しおかしい。自分が労働者だから、労働者を好きにならなきゃいけないって、きまってやしないわ。
大 沢  不幸だよ、そういうものの考え方する奴は。
よしこ  そういってやれば。(冷笑する)
大 沢  労働者が労働者であることに誇りをもってない。なんのためにサークルに出てきて、われわれの連帯性について話し合ったんだ。その情熱はどこへ消えちまったんだ。
よしこ  あたしに言ってもしょうがないわ。
大 沢  君はずっと彼女の友だちだったんだろう。
よしこ  あたしの責任みたい。
大 沢  (鼻白む)いや、おれ、じれったくなってね、つい。
よしこ  あの人、仕事が現場だときまったとき、べそかいたんだって。仕方ないわよね、高校を出ていないんだもの、いくら中学での成績がよかったといっても、職員になんかなれやしないわ。
大 沢  そんなにBGになりたいのかなあー。
よしこ  あの人、タイピストになりたかったのよ、英文タイプに。いまでも技術課なんかでタイプ打ってるの、じーっと立ってみていることあるわ。
大 沢  英文タイプ、高級BGか。なるほどね。だから、倉庫でコンデンサー数えたり、真鍮ビスを秤にかけたりしているのは、やりきれないってわけだ。
よしこ  なんできぬこの話ばかりするの、おかしいわよ、もっと職場全体のことを考えなきゃ。
大 沢  そうだなあ。要するにわがテレビ製造課における、女子労働者の意識を……

    外からきぬこと福田が入ってくる。
    よりそった二人のレインコートが濡れている。二人はまったく他の人々を意識しない。

福 田  さむくはなかった?
きぬこ  ちっとも。あたし体温が高いのよ。
福 田  でも、手はこんなに冷たい。
きぬこ  あたしには冷たく感じないの。(片手で目をおさえる)
福 田  どうしたの。
きぬこ  さっき、なにか入ったらしいわ。
福 田  とってあげよう。あかりの方を向くといい。
きぬこ  ひとりでに出るわよ。
福 田  (ささやくように)いいよ、とらしてくれたっていいじゃないか。
きぬこ  (笑う。黙って燈りの方に向き、首をそらす)

    大沢とよしこ、きぬこと知ってはっとする。ナツコは目のごみをとっている二人の後ろにきて立っている。

大 沢  (つぶやく)大胆な女だ。
よしこ  (大沢の袖をひいてたしなめる)
ナツコ  なににいたします。
福 田  (首をそらせているきぬこに)コーヒーがいい?
きぬこ  あたしココア。
福 田  ココア二つ。

    ナツコもどる。

きぬこ  (目のごみはとれないらしいのに)もういいわ。
福 田  だって……
きぬこ  こわくって、手がぶるぶるふるえているんだもの。
福 田  でもまだゴミが……
きぬこ  いいのよ、あんただっていいんでしょう。あたしの瞼のうらのぞいたんだもの。

    大沢、自分の席であやまってコーヒーの茶碗を床におとす。

福 田  すごいな、君は。
きぬこ  あんただって、案外心臓だわ。
福 田  今夜はねられないよ、ぼくは。
きぬこ  帰りに薬屋で睡眠薬買うの。
福 田  睡眠薬だって、ぼくの悶えを静めやしないさ。雨の音をききながら、夜通しぼくはもの思いにふけるのさ。
きぬこ  何時間も歩いてしまったわ、雨のふる街の中を、どこの街をどう歩いたか、二人とも覚えてはいないの。
福 田  そんな甘い回想なんかじゃないんだよ。君が話した、君の会社の男性たちさ、君を狙ってる男性たちさ。ドンファンで車をもってるという課長、熱心に求婚してくる気の弱い社員、それから労働組合の闘士だという青年。課長は中年男で女にかけてはずるい……
きぬこ  それから。
福 田  それから……いろいろ妄想が湧いてくる。
きぬこ  どんな妄想?
福 田  いえやしないよ。男のたくましくする想像の世界なんてね。
きぬこ  臆病だわ。
福 田  じゃ、いうけど、たとえば、たとえば、
きぬこ  なあに。
福 田  たとえば、課長が君を箱根にさそう。君は案外あっさり引き受ける。そうなんだ、それでぼくは……ああ苦しい。
きぬこ  (体をよじらせて笑う)テレビドラマね。あたしは課長と遊ぶ。あんたは絶望するの。そこへ会社の仕事でアメリカへ出張という話。あたしは羽田にかけつけたけれど間に合わない。あんたは一人で発つの、その飛行機が豆つぶのように。雲の中に消えてゆくのを、あたしは大粒の涙をポロポロこぼしてみつめているんだわ。
福 田  ちがう、ちがう、男ってものはもっとどぎつい想像するんだ、リアリズム、肉体的なリアリズム……

    ナツコ、ココアを運んでくる。

ナツコ  お待たせしました。(去る)
きぬこ  バカよ、あんた、そんな想像。あたしは遊びごとなんかで誘惑はされないわ。それにはあたしあまりに、世の中の矛盾が目についちゃうんだ。あたしン家、とても貧乏。
福 田  うそだ。そんなこと言って楽しんでるんだ。
きぬこ  ほんと、六畳一間しかない木造アパートなの。トタン張りだから、雨がばらばら叩きつける音が、部屋の壁をとおしてきこえてくるのよ。
福 田  君は何でも空想できるんだね。
きぬこ  母は毎晩おそくまで内職してるの。テレビの部品の線加工。あたしは親の苦労も他所に、夢ばかりみてる親不孝娘。
福 田  ぼくの方こそどうしたらいいんだろう。ほんというとぼくはね、デートなんかできる人間じゃないんだ。
きぬこ  どうして? ココアがさめるわ。
福 田  ぼくの仕事は、君とこうしてあっている、そのために明日の仕事が混乱してしまう、それでもぼくはあわずにいられないんだ。そんなせわしない仕事なんだ。
きぬこ  光栄だわ。それだげあなたの仕事が重要だという証拠ね。
福 田  重要? そう、重要ね。君の会社にコンベアかあるだろう。コンベアの流れにそって何百人の娘が並ぶ、どの一つが抜けたってブラウン管に画が出なければ音もきこえなくなる。みんな重要さ、なにもかも。でもみんなが重要になれば、重要なんてことに意味がなくなっちまうよ。ぼくの仕事の重要さなんか、そんな意味もない重要さなんだ。
きぬこ  いいな、その言葉、謙虚さがいっぱい、あたし好きだな。
福 田  ぼくの正体を言おうか!
きぬこ  会社になくてはならない人、会社の業績をになう人、いつも仕事に熱中していられる人。
福 田  熱中させられるんだ。そういうふうになってるんだ。つまり大企業が、君たちのいる会社が、業界にそびえ君臨しているだろう。ぼくらの工場はその足もとにごちゃごちゃと集まって。
きぬこ  いいの、そんなむずかしい話は。あたしはね、つまらない女よ、ミーハーなのよ、それもひどいミーハー。
福 田  ミーハーは君のように喋れやしないさ。
きぬこ  うそ。ミーハーというのは男次第よ。相手によってどんな言葉だって出てくるものなの。映画の話、宇宙旅行の話、恋愛心理の話、唯物論と社会主義の話。
福 田  唯物論と社会主義だって?
きぬこ  あたしたちミーハーは、素晴らしい男性ばかり憧れるんだわ。
福 田  素晴らしい男性だって!
きぬこ  あなたもそうよ。それからあたしのことをミーハーでなくそうと努力している人、大沢さん。この人も素晴らしいわ。
福 田  ああ、その人は……
きぬこ  典型的な労働者っていうのかな。なかなか精力的なの。コンベアの乙女たちにいかにして団結を教えるか、太初(はじめ)に行ないありき、まんじゅうの味は食べてみなければわからない。女よミーハー性を捨てよ。ローザ・ルクセンブルグのように。
福 田  きいたような名だ、だれかな?
きぬこ  知らない。いい名前ね、だからあたし覚えているの。ローザ・ルクセンブルグ。でもあたしはジャンヌの方が好き、ジャンヌ・ダルク。
福 田  火あぶりにされたわ。
きぬこ  ロマンチックだな、火あぶり。火あぶりの条件は美しい娘だということ。ジャンヌ・ダルクに八百屋お七。でもお七の恋は古臭いわ。ジャンヌの方がモダンでそして戦闘的、断然素晴らしいの。
福 田  君も素晴らしいよ。この烟で汚れた灰色の街にも、君がそのどこかで働いていると思うと、ぼくには灰色の空気でも楽園に思えてくるんだ。会社で働いている君を、仕事をしている君をみたいな。
きぬこ  (激しく)ダメ、ダメ、仕事しているあたしなんて。いつも眉を八の字にしているの、そこには夢がないんだもの。あるのは部品だけ。部品がいっぱい、あたしをいじめるの。数が合わなかったり不良が出たり、キャラメルみたいなコンデンサー、ちびすけのトランジスター、ダイオードにサーミスター。黒いデカぶつのスピーカー。蛇のようなシールド線。みみずのようなビニール線。
福 田  (なんとなく言葉の調子があって)ビニール線に絹巻線、ヴォリュームスイッチにチャンネルスイッチ。リモコンプラグにパイロットランプ。
きぬこ  あら、あら。
福 田  あれ、あれ。(二人は顔を見合わせる)これ、君、テレビの部品。
きぬこ  あらそう、そうなの。あたしほんとは、タイプライターより、テレビの部品が好きなの。あすこにはお友だちがいっぱいいるの。みんな一つになって、コンベアという川をはさんで仕事をしてるわ。そこの娘たちは、あたしみたいなおすまし顔のBGとちがうの……大沢さんがいったわよ。コンベアの娘たちよ、団結せよっ、て、あたし記憶力がいいでしょう。
福 田  (なにか気をとられている)ヴォリュームスイッチ、納期は明日の正午。
きぬこ  あら、なあに。
福 田  いいや、なんでもない。その大沢さん、きっと素晴らしい人だよ。ぼく、紹介してもらいたいな。
きぬこ  なんのためにあいたいの。
福 田  ただなんとなく、君の話をきいて。
きぬこ  それならあってはダメ。きっと幻滅を感じるだけよ。
福 田  でも、あってみたい。
きぬこ あってはいけないの。あたしの夢があるんだもの、あの人に。
福 田  (急に態度がかわる)そうだろう。ぼくなんか、その人と話をする資格もないよ。ぼくの工場には組合さえないんだ。あるのは仕事、残業、夜業、徹夜、そうかと思うと急に閑、潮がひいたように仕事がなくなって、みんなぼやっとしてしまうんだ。
きぬこ  あたし悲観的な話きらいなの。
福 田  悲観的なんかじゃないよ、これがリアリズムなんだ。
きぬこ  それなら、そのリアリズムきらい。
福 田  そうだ。ぼくなんか君に、夢を与えることのできる人間じゃないんだ。ぼくは、ぼくは……(立つ)さようなら!(去る)

    きぬこ、びっくりして、後を追ってゆく。

大 沢  ほんとにあの男か、会社は小さいが優秀な技術者で、アメリカへ行くかも知れないなんて。
よしこ  そう、きぬこが言ってたの彼のことよ、さっき聞こえたわ、羽田とか飛行機がとか。
大 沢  そいつあ、真赤な嘘だ。
よしこ  知ってるの、彼を。
大 沢  彼はうちの会社の下請け、旭製作所の工員さ。昨年組合がストライキに入ったとき、われわれは下請けにオルグに行った、その時彼を見たのさ。だいいちあの工場には技術者なんか必要ないんだ。技術はみんな親会社のうちが指導しているんだからね。
よしこ  バカねえ、きぬこは。
大 沢  あの野郎、おとなしそうな顔してやがって、甘言を弄して女をたらし込む奴なんだ。断じて許せないよ、おれは。
よしこ  でも他人の恋愛に干渉するの、よくないわよ。
大 沢  仲間の堕落を黙ってみてられねえ。
よしこ  堕落かどうかわからないじゃないの。
大 沢  堕落だよ、そもそも労働者が、労働者であることを偽って行動するなんて、階級的堕落というんだ。
よしこ  そうかしら……
大 沢  彼女の夢をぶち砕いてやろう。真実に目ざめさせるんだ。
よしこ  その内にひとりでに目が醒めるわ。
大 沢  君は冷淡だぞ。
よしこ  ひとのことどころじゃないわ。あたしにはあたしの悩みがあるんだから。
大 沢  なんだい、あたしの悩みって?
よしこ  あたしに言わせる気?(こわい顔でみる)
大 沢  (困ってしまう。モノローグのように)とかく女性は自己中心にしかものを考えないからな。もとより恋愛が第三者の介在を許さざる神聖なものであることは、朴念人であるぼくにだってよくわかる。だが明々白々たる虚偽欺瞞に対して、なんであえてそれを。
よしこ  (席を立つ)
大 沢  (首をかしげ)まったく、山の天気以上だよ、女の気持とは。(つづいて席を立ってゆく)ナツコはいねむりしているらしい若者に声をかける。
ナツコ  夜勤なんでしょう。時間はいいの。若者は首をもたげる。あくびをする。主人が立って、外の扉を開く。夜の雨空をみる。

   
    第三景

    幾日かたった夜
    外にはすでに春さきの風が流れているらしい。陽気なざわめきが伝わってくる。

主 人  (観客の方に)春ですね、烟も埃もざわめきも、なんとなく華やいできました。この店の壁の外には、製鉄、冶金、電機、化学、石油、食品、機械、造船、ま、ありとあらゆる工場がひしめいていて、夕方になると疲れた労働者が、どっと吐き出されます。疲れた労働者は、夢を求めて街にあふれます。パチンコ玉が、焼鳥と焼酎と故郷の民謡が、ジャズとウィスキーが、セックスとスリルの活動写真が、疲れた人々を吸い込んでは夢を与えてくれてます。それが労働者の明日のエネルギーにかわるというわけですね。まったく世の中とはうまくできてますよ。(自嘲らしい笑い)こうした夢のマスプロに比べれば、わが小さなオアシスなんかものの数ではない。(どうにもやりきれないといったゼスチュア)

    ナツコは客の卓に水を運んでいる。
    よしこと大沢が連れ立って店に入ってくる。

大 沢  ところで彼女は、時間を守る方かい?
よしこ  あたしって、つくづくバカな女よ。
大 沢  ここで会って話をしたい、といったらどんな顔をしたね。
よしこ  犬に食われて死ねばいいの? 豆腐の角に頭をぶつけて死ねばいいの? どっちがいいのかしら、あたしたちの役割。
大 沢  (よしこの言葉をほとんどきいていない)恋愛はもっとも非社会的な行為だ、って書いてあった本があったな。だがぼくには恋愛はもっとも社会的な行為でもあるような気もするんだ。もっとも社会的で階級的な心理のあらわれ……そうじゃなかろか。

    ナツコ注文をききにくる。

大 沢  コーヒー、二つ。
よしこ  それにケーキひとつ、なるたけ大きいの。
ナツコ  大きいケーキですか。(去る)
大 沢  (よしこの顔をみている)
よしこ  お腹空いてるのよ、あたし。今日は午後から下請けに発注がどっとあって、目が廻るくらいだったのよ。それにコーヒー一ぱいじゃあいませんからね、こんな役割。
大 沢  帰りになにかおごるよ。
よしこ  ラーメンなんかじゃダメ。
大 沢  ラーメンは安くてうまい。プロレタリア向きのごちそうさ。
よしこ  昔のプロレタリアはおすしを食べてたわ。
大 沢  昔はプロレタリアじゃないよ。ギルド社会、閉鎖的な職人世界さ。
よしこ  それだげ、あれこれ喋れるあんたが、なぜきぬこにはいえないのよ。君は男の口車にのせられているんだって、そんな簡単なことがいえないの。
大 沢  ものには緩衝物、クッションがいるんだ。
よしこ  うまいこと、大沢さん、あんた、きぬこにいかれてるのよ!
大 沢  バ、バカなこと。
よしこ  ちゃんとみてたんだから、サークルの学習会のとき。きぬこをあたしが連れてきたとき、あんた固くなっちゃってさ、十八番くり返したわね、「空想より科学」のさわりのとこ、「人間は論証するより前に行動しました、はじめに行ないありき、まんじゅうの味は食べてみなければわからない」二回もいったわ。それからこんどは調子づいて、「かくして、ローザとカールの屍の上に、ファシズムの基盤は着々と」
大 沢  (困惑して)なにをいいだすんだ……
よしこ  きぬこはあんたの顔、すごく大きな目をあけてじっとみてたわ。それで彼女があんたの話わかったと思ったら大まちがいよ。あの娘の頭はわかりゃしないんだから、むずかしいことは。ただあの目でじっとまたたきもしないでみつめると、男はみんなわかったように思いこんで、いい気持になるということを知っているの、きぬこは。
大 沢  (情けない顔で)おすしおごる、ってば。
よしこ  (いささかヒステリックに)おすしのことなんか言ってるんじゃないわ!

    コーヒーとケーキを持ってきたナツコがびっくりする。
    よしこはケーキをパクパク食べる。大沢だまってコーヒーをのむ。
    きぬこが入ってくる。こころなしか沈んだ足どり。二人の席にくる。黙って腰を下ろす。大沢固くなる。よしこはきぬこにかまわずケーキを食べている。すべて無言。ナツコがそっと注文をききにくる。
   
きぬこ  ココア……

    三人無言、よしこのみケーキを食ベコーヒーのむ。それをきぬこと大沢が見ている形。
   
よしこ  (食べ終わり口をぬぐい)いやな感じね。
きぬこ  あたしをよんだのはあなた方よ。
大 沢  (何度か咳払いをする)
きぬこ  その咳、風邪? 大沢さん。
大 沢  いや、のどがちょっと……
きぬこ  なんか意味あり気ね。
大 沢  いってみればつまり人間の意識について、つまり、そういう話をね……
よしこ  犬に食われて死ねばいい、といわれる話なの。
きぬこ  だれ? 犬に食われる人。
よしこ  もち、あたしさ。大沢さんもそう。
大 沢  いや君、そういう風に話をもっていっては……
きぬこ  わかったわ。
よしこ  わかった。(念を押す感じ)
きぬこ  あの人のことね。あたしがお喋りした。
よしこ  ご忠告申し上げたいの。
きぬこ  お二人で、どうもご親切に。
よしこ  真剣な話よ。
きぬこ  ズバリいって、心配ってどんなこと。あの人ってとても善良で真面目で、仕事が忙しいからといって、デートの時間もすっぽかすこともあるくらいだわ。
よしこ  彼はある工場の技術者で、とても優秀だといってたわね。
きぬこ  その工場にはなくてならない人なの。
よしこ  なんという工場?
きぬこ  そんなこと、どうだっていいじゃない。
よしこ  あきれた。
きぬこ  あたしが交際ってるの、彼その人よ。勤め先なんか関係ないわ。
よしこ  じゃ、優秀な技術者って、どうしてわかるの? その証拠があって?
きぬこ  そうでない、って証拠があって?

    ナツコ、ココアを運んでくる。

よしこ  きぬこ。あんたは彼がどこの工場に勤めて、何の仕事をしているか、まるで知らないのね。
きぬこ  (ふくれる)犯罪者とでも交際ってるみたい……
よしこ  あんたはだまされてるのよ、きぬこ。
きぬこ  だまされてなんかいないわ、絶対。
よしこ  そう。教えてあげる。彼の勤め先は旭製作所、うちの下請け工場、あんたがいつも部品を発注する多くの工場のひとつよ。彼はそこの内職加工係、うちから出た部品を車に積んでは、次々と家庭を廻って歩くのよ。たしかに大事な仕事よね、それがうまくゆかなければ会社のコンベアだって止まるんだもの。でもそれは技術者のやることじゃないわ。優秀とか独自の研究とか、そういうこととも縁がないわ。彼はうそいってるの、あんたをあざむいてるの、あんたそれにのせられてるの。(大沢に)もういいでしょ。あとの社会的意義についてはあんたに任せるわね。
大 沢  たのむ、豆腐の角に頭ぶつけろなんて思わないでくれな。黙ってみているのにしのびなかったんだ。わかってくれるね。彼は下請け労働者なのに、なぜ自らを技術者だとか優秀なだとかアメリカ行きだとか、並べ立てるのか。自分の勤め先と職業をなぜはっきり述べることができないのか。労働者が労働者であることを誇りに考えられないとき、そこに生まれる意識はなにか? 君は現実を直視する必要があるよ。自己を直視し彼を直視する。
きぬこ  (敵意をもって)直視? 直視するってなんのこと?
大 沢  真実をみつめる。
きぬこ  真実って?
大 沢  君は労働者、彼も労働者。
きぬこ  労働者、労働者、って、なによ、それ?
よしこ  きぬこ! あんた、労働者、わかんない?
きぬこ  わかんない。
よしこ  あきれた!
大 沢  自らの労働を資本家に売って賃金を得、なんらの生産手段をも持たない……
きぬこ  テキストでよんだわ。
大 沢  じゃ、わかってるんだ。
きぬこ  それがわかんないの!
よしこ  (大沢に)ね、あたしが言った通りよ。
大 沢  (きぬこに)君はもっと頭がいいはずだ。
きぬこ  あたしはバカよ、ミーハーよ。
大 沢  君はミーハーじゃない、自尊心を持つべきだ。
よしこ  ミーハーよ、スーパー・ミーハー。
大 沢  (よしこに)まぜかえすな。
よしこ  失礼。
きぬこ  あたしはミーハー。
よしこ  本人がいってるんだから、たしかよ。
大 沢  (強調する)ミーハーではない、断じて君は!
よしこ  (大沢に)なにが断じて! なの。ミーハーだからなにさ。
きぬこ  そうよ、ミーハーだからどうなの?
よしこ・きぬこ (同時に)ねえ。
大 沢  われわれはいったい、なんの話をしているんだ!
きぬこ  わかっちゃいないの、あたしなんにも。わかっちゃいないけれどあこがれだけは胸にいっぱい。あたしにないもの。あたしの周りにないもの、あたしの生活や人生にないもの……舶来の口紅、香水、すてきなボーイフレンド、一流のレストランで食事をするの。
大 沢  (モノローグ)アメリカナイズ、消費文化の痛ましい犠牲だ!
きぬこ  (うっとりと)羽田の空、好き、外国につづいている空、あたしBOAC、コメットのプラモデル買ってこしらえたの、机の上においてあるわ。それとよくにらめっこするのよ。コメットはゆくわ、あたしの夢の中の空を、香港、シンガポール、カラチ、カイロ、ローマ、三〇時間か四〇時間たてばいってるんだわ。パリの並木、ロンドンの霧、ストックホルムの空。
大 沢  現実に立脚することをすすめるね、現実に立脚。
きぬこ  現実、知ってるわ、あたし。(調子が沈み、機械的な乾いた口調になる)天野絹子、二〇才、勤続五年、本給二八〇〇円。勤労課のファイルの中にあたしのパンチカードかおるわ。何千何万枚の中の一枚、月収定時間二五日計算で一万一千円。それから健康保険、厚生年金、失業保険、共済会費、税金に親睦会費、課内旅行積立金に労働組合費、それにチケット代、差引手取額は。
大 沢  いいよ、いいよ、いいよ。
きぬこ  なぜとめるの、あたしの経済的現実を話してるのに。
大 沢  知ってるとも、よーく知ってる。
きぬこ  うんざりね、現実って。
大 沢  まあ、まあ、
きぬこ  そうだわ。ドライで、みみちくて、夢がなくて。
大 沢  だからわれわれ
きぬこ  (ほぼ同時に)だからあたしは
大 沢  現実変革のために、
きぬこ  あこがれるんだわ。
よしこ  ちょっと! あたし漫才の司会をやらされてるわけ!
   
    福田が外から入ってくる。彼は作業服の上にコートをひっかけた姿。
   
きぬこ  ここよ、福田さん。
   
    福田おずおずと三人の席に近づく、二人は唖然とする。
   
きぬこ  ご紹介するわ。お噂の福田さん、町工場の優秀な技術者なの。あたしに夢を与えてくれた人。(福田が何か言おうとするのをとどめる)あたしがさっき電話でよんだの。あたしがあなた方とここで会うから、ぜひ来てちょうだい、って。(大沢をさして)こちら、いつもお話する人、うちの組合の書記長で、職場の組織者でそして革命家。
大 沢  おれが! とんでもない!(とびあがらんばかり。きぬこおしとどめて)
きぬこ  労働者の未来について、科学的な理想をもって闘っておられる方。
福 田  (いくらか感動をもって)前にお目にかかったことありましたね、おたくのストライキのとき……
大 沢  わしゃ顔が赤くなるよ。
きぬこ  (よしこをさして)あたしの尊敬するおねえさん。あたしに、港の夜霧とか、はかない煙とか、別れの涙とか、切ない想いとか、そんな歌をうたっていてはいけないと教えてくれた人。
よしこ  きぬこ! あんた、精神病院に入った方がいいんだわ。
   
    きぬこは突然笑いだす。みんな呆気にとられる。
   
きぬこ  (笑いやむ。沈んだ調子になる)あたしはタイピスト、英文タイピストなの。遠く太平洋の空をとんでゆく、手紙の文字をキイで叩いているの。でもそれはあたしの心の中だけのこと、だってあたし英語なんか読めないのよ。そのかわりテレビの部品のことなら少しは知ってるわ。何と何が何個、いつまでに揃えなければならないか、ってこと。朝から晩まで、あたしはそれを追いかけるんだ、倉庫の中で。
福 田  そう、君が朝から晩まで、ぼくが晩から朝まで。ぼくは何十軒の家庭をこまねずみのように走るんです。部品を配達してはまた集めて、こまねずみのように。一つそれかつかえてもコンベアが止まりますからね。雨がふっても風がふいても、ぼくは廻るんだ。そして仕事がぼくを解放してくれる僅かな時間、ぼくは一張羅の服をきて、ここにきては自分の生活のリズムから逃れようとして音楽をきいていたんです。……ぼくの夢、いつの間にか消えてしまった――学問をして、有能な技術者になって、新しいものを世の中に創り出してゆきたい。そんな中学生時代の希望と夢、ここの烟突の画って、なにか、そんな想いをぼんやりとよみがえさせるんです。そこへ(きぬこに向かって)君があらわれたんだ。突然、天からふってきたかのように。
よしこ  二人とも、知ってたの、お互いのこと?・
きぬこ  知ってた、といえばうそ、知らないといってもうそ。
大 沢  わからん! 現実を無理に忘れて、空想にふけるなんて。
よしこ  だから、あんたにはわからない、とあたしは言ったの!
福 田  (きぬこに)ぼくは告白したかった、下請け工場の工員だって。技術者なんかじゃないんだって、あんただってきっと同じ思いだったろう。でも、そんなことをする必要がどこにあるんだろう。ぼくらの夢は、なにもわざわざこわさなくたって、それが夢だということは二人ともよおく知っているんだもの、ねえ。
きぬこ  タイピストと技術者。どこにでも転がっている小っちゃな夢。
大 沢  (拳で手を叩き)それが変革のエネルギーをわきにそらせるんだ。
きぬこ  革命、すばらしいわね、でもそれも大沢さんの夢じゃないかしら。
大 沢  単純な空想と、科学的な現実変革とをいっしょにされてたまるか!
よしこ  いきましょう。あたしたちは、豆腐の角に頭をぶつけた方がよっぽど気がきいていたわ。大沢さん、おすしぐらいじゃすまないわよ!
大 沢  さっぱりわからん、どうも失礼しました。
   
    二人は出てゆく。きぬこと福田は言葉もない。それから二人とも黙って向きあったまま、まるで見合いでもしているような、ぎこちない――間――音楽が流れている。しばらくの間。(この間、二人は無言、要すれば他の客による風俗的なパントマイムがあってよろしい)
    突然扉があいて若者が入ってくる。ひどく酔っている。

ナツコ  ケンちゃん、どうしたの?
若 者  ヘヘ、とうとうクビ、臨時工は景気の安全弁だってな。
ナツコ  (他人ごとのように)かわいそうね。
若 者  明日から、トラック乗んだ。東海道はクモ助稼業ときたもんだ。おい、おやじ!
主 人  (若者の大きな声をしずめるため、親しみをこめて)しっ!
若 者  おれもよ、おやじ、とうとうクモ助だい。
主 人  よかったよ、ケンちゃん。なに、君ならきっと半年ぐらいで免許がとれるぜ。人生はどこにでも転がっているもんだからね。
若 者  ありかと。ちょうどよかった、ナッちゃんにゃふられるし、その内、街道すじのよ、どっかの食堂のおねえちゃんに、また熱あげるぜ。
主 人  そうだ、その意気だ。
若 者  この烟突の画ともお別れだい。おやじキスさせろ。
主 人  (おどろいて)おい、おい、君。
   
    若者いきなり主人の頬にキス。主人困惑した笑い。
   
若 者  さよなら、ナッちゃん。
   
    ナツコの手をとる。ナツコは手を引っ込めない。若者は外国映画でみたように、ナツコの手の甲にキスする。ナツコ泣きそうになって、手から盆を落とす。
   
若 者  ヘヘヘヘ。(笑いながら出てゆく)

    間――音楽と、あるムード。
    きぬこと福田。きぬこがしずかに泣きだす。ハンカチを目にあてる。福田も泣きそうな顔。なにもいえず、そっと肩を抱きなぐさめる。きぬこ泣きやむ。ハンカチにさわって、
   
きぬこ  ぬれてる。
福 田  (そのハンカチをとり、口にもっていく)ぬれてる。
きぬこ  泣いたの、あたし?
福 田  泣くもんか、君は……ただ涙が出ただけだよ。
きぬこ  そうよ、涙が出ただけよ。(微笑む)
福 田  (微笑む)
   
    二人は静かに出てゆく。
    ナツコ、ゆっくり二人の去ったテーブルをふく。
    主人おもむろに出てきて、烟突の画が曲がっているのを直す。
   
主 人  (客席に)この画にはどこか夢があるんですよ。たいへんリアルな、それでいて夢がある。どうでしょう、そう思いませんか。
   
    扉があいて、威勢のいい、労働者らしい男女の二人連れが入ってくる。きぬこたちがいた席につく。
   
ナツコ  いらっしゃいませ。
                                                      ――幕――