この戯曲を、私は、私の演劇における

生涯の師匠であった

  宇野重吉さんに捧げたい。

   二〇一〇年二月

          大橋喜一

 

        叙説
        ああ、東京大空襲!
             付 栄光の殺人者・風景

 

 

                                              大橋喜一

 

この戯曲の上演時期(年・月)と、それに対応する、役の具体的な三人の人物の役年齢について。
戯曲の上演年を西暦二〇一〇年とすれば、次の三人物の舞台上での年齢は作者・大星義一 (本人は登場できなく、若い役者が代役するので、具体的には変化なし。)
登場しない本人は九十二才
道行係 久野丈吉九十五才
放乱言狂(本名不詳)九十五才
したがって、上演年月が進んだ場合いは、この設定年齢も一つづつ、多くなる。

これは作品上演の、具体的リアリティのため、必要な条件である。具体的上演時にあっては、アドリブ的に、強壮剤などを投与した、ユーモアたっぷりに若返り演技ができる。
   
    1  放乱言狂の出現
   
    客入りの適当な頃からはじまる。客席に異様な服装の男が入り込む。かっての日本陸軍を連想させる兵隊服赤い帯を巻いた軍帽、背中に日本の戦国時代を連想させる旗を立てている。
    「南無妙法乱言狂」(日蓮宗ヒゲ題目風)の文字。男はそれを口ずさみながら、客席を歩き廻る。
    劇場の案内孫が男のところに来る。
   
案内係  何処から入りました?
乱言狂  自分は、この劇の重要な登場人物であります。
案内係  登場人物?
乱言狂  南無妙法乱言狂! 略称乱言狂とも呼ばれます。かっての帝国陸軍の砲兵上等兵でありました。原隊は横須賀重砲兵連隊、略して横重。自分の特業は、戦砲隊で砲手であります。十五サンチ・カノン砲の二番砲手でありました。 
案内係  困ります。異様な格好をして。
乱言狂  異様に見えるのは承知の上であります。

    舞台上に多くの出演者出てくる。

―――― 来た! 客席に来たぞ!
―――― ノモハンが来た。客席に来た!
―――― ノモハン? あれ、変なの!

    舞台いっぱいに人々。

乱言狂  (態度変わる)あなた方、やめて下さい。モンゴル語かロシア語か     知らないが、その「ノモハン」という地名だけは、呼ばないでほしい。自分の名は、南無妙・放乱言狂。南無妙は日蓮宗からの無断借用で、乱言狂と読んで下さい。
舞台の人々 ――乱言狂? 放乱言狂? 何だろ? 変なの? 放乱言狂(ガヤガヤ騒ぎになる。)
進行係  (人々の中から出てきて)みんな、静かに!(人々静かになる)不用意に、「ノモハン」などと、発言するな!(丁寧に)役者達の、不躾な言葉、お許し下さい。手前はこの劇団の代表演出者で、久野丈吉と申します。

    乱言狂は皆の手で舞台に引き上げられる。
   
乱言狂  久野丈吉? 聞いた名です。ことによると築地? 新協? たしか……。
進行係  ああ、乱言狂さん。築地時代のことまで!
乱言狂  あの、あなたは、新劇で有名な……。
道行係  久野丈吉です。でも現在(いま)は西暦で、二〇一〇年、日本の天皇制年号暦では、平成二十二年、ですがよくご存命で、めでたい!(突然、周囲に向かって)君たち、よく聞け! 確か、乱言狂さんは、おれと同じ寅年のはず。(乱言狂を見る。)
乱言狂  (びっくり)どうして、それを!
進行係  作者から。作者はおれより三つ若い。巳年生まれで、昭和十二年度徴集。招集舞台は、横重――横須賀重砲兵。
乱言狂  え? 横須賀重砲兵。
進行係  この本の作者はあんたの、三年後輩になります。彼等は南支――南支軍派遣軍で、中国広東省、バイヤス湾上陸ですが、南支の山の中で、知らされたそうだ。ノモハンでの日本軍の大敗北、十五サンチ・カノンがソ連軍の戦車に引っぱられて、モスクワの広場で陳列されてることも。
乱言狂  おれはその時の捕虜の一人だった!
進行係  (周囲を見廻し)大星君、作者、どうした? 大星君!

    ※以下、登場する大星は、老人ホームにあつての、真の大星と、舞台で作者役をやる代役の大星とが、入りまじって出てくる。まじり方は役者の自由。

大 星  あ、すいません。あのびっくりしちゃって、わが家の婆さん、日蓮さんに昔からコチコチなんで、その、すごいんだよなア、ヒゲ題目風の旗、とっても感心しちまいましてねェ。いやァ、その上にね、扮装もすごい!
道行係  (少し焦れて)作者なんだろう、君は、作者のセリフ、どうしたんだ!
大 星  作者? あ、いけねェ! おれは作者なんだっけ。ああ、そうか……、そうか……。
道行係  大星義一のセリフ! しっかりしろい。
大 星  劇作家大星、大星義一のセリフか、ああ、おれはそれをやるんだっけ……。
進行係  まことの大星義一は老人ホームの中にいる。そのスピリット、それを演じてこそ、俳優なんだろう! 劇作家大星義一は老人ホームの中で、何を思索し、何を考えているか? それこそ君の役の課題じゃないのかい!
大 星  本物は老人ホームにましまして、そのスピリットなるものを……。
道行係  役の課題、君はもう研究生じゃあるまい! 我が劇団の中堅俳優だ。しっかりしろ!
大 星  ハイ。しっかり演ります。
進行係  役者と劇作家の二重意識。難しいところだが、がんばるんだ!
大 星  まア、そう言ったって、役者は慣れてますけれど、その、作者、劇作家ってのはね、何を考えてるのか、分かるようでいて、分からないんだな。
進行係  (少しいら立つ)ヒゲ題目の旗、感心したんだろ!
大 星  すごいアイデア、なかなか芸術的だ。
進行係  彼は捕虜だった。ノモハン戦の捕虜。
大 星  あ、それがお題目風の旗を手に……、帝国陸軍軍人が、お題目風の旗を手に……。
進行係  それでよし、も、一息!
乱言狂  (突然パッと身を起こし)お題目風の旗がいけませんか?
大 星  いやァ、いいアイデアだと思います。とても感激してます。これはほんとです。                        
乱言狂  (厳かな身の正し方)朕(チン)惟(オモ)フニ、我(ワ)力(ガ)皇(コウ)祖(ソ)皇(コウ)宗(ソ)、國(クニ)ヲ肇(ハジ)ムルコト宏(コウ)遠(エン)二(ニ)徳(トク)ヲ樹(タ)ツルコト深(シン)厚(コウ)ナリ、爾(ナンジ) 臣(シン)民(ミン)父(フ)母(ボ)二(ニ)孝(コウ)二(ニ)兄(ケイ)弟(テイ)二(ニ)友(ユウ)二(ニ)夫(フウ)婦(フ)相(アイ)和(ワ)シ、(見つめる)……。
大 星  そりやあんた、大正生まれの小学生なら……。
乱言狂  もう、おわかりか?
大 星  教、教育勅語のはじめのところじやないか。大正生まれなら、よほどの阿呆でもなきゃ。
乱言狂  おわかりのところかな。
大 星  教育勅語の出はじめのところだ。
乱宮狂  流石は、流石だ。(厳かな姿勢になり、一段と厳かな態度。声の質まで変えて)我か国の軍隊は 世々天皇の統率し給ふ所にそある。昔神武天皇躬(み)つから大伴物部の兵(つはもの)ともを率ゐ中国(なかつくに)のまつろはぬものともを……。
大 星  それは、たしか、軍人勅諭のはじまりで……。
乱言狂  流石だ。では行くぞ、(身を反らせて)朕ハ、汝等軍人ノ大元帥ナルソ!
大 星   (パツと立ち上がる)ウワッ!………、軍人勅諭のさわりのところ、間違いなし。
乱言狂  (少したじろいて)貴様も大した玉だ。フーム。
大 星  南無妙放乱言狂、どこで思いついた! あの軍人勅諭!
乱宮狂  (いささかびっくり)流石、でも、汝は作者ではないのか? 当然だろ!
大 星  おれは舞台上の、仮の作者役なんだよ。本物は老人ホームの中にいるんだ。
乱言狂  じゃ、訊いてごらん、本物さんに。
大 星  (瞬間とまどい)本物は老人ホームの中。ああ、軍人勅諭! どしたらいいか?(進行係に)助けてくれい。放乱言狂、ホーランゲンキョー。
道行係  そこだ! 軍人勅諭分からなきゃ、コトバ、コトバの響きだ! 必要ギリギリまで自分を追い込んで、そこで本物の心をつかむ! もう一息。
大 星  本物の作者よ、放乱言狂!………劇作家は、言葉のひびきに、生命を凝らす! 放乱言狂、法蓮華経、放乱言狂、法蓮華経……これだ! 日蓮上人の心、以て非ではない。以て眞なるものもあり、これだ!
進行係  (拍手)その意気だ! 行け! 大星君、天才は努力の末において発揮される!
大 星  日蓮上人は法蓮華経……、ノモハン捕虜の彼は放乱言狂。法蓮華経、放乱言狂。法蓮華経、放乱言狂。
乱言狂  (踊り始める)法蓮華経、放乱言狂。(パッと踊りを止め)そこでお立ち会い。われは放乱言狂、乱れた言葉を放つ気ちがい! 語呂は同じなれど、意味は異なる。放乱言狂!・(大見得を切る)
大 星  ストップ、ストップ!(進行係に)作者が、老人ホームにいるほんとの作者が、進行係に、久野さんに傅たえてくれーと。
進行係  さては?
大 星  テーマ逸脱。東京大空襲、時間なくなる!
乱言狂  もっとやりたいんだ! 朕は汝等軍人の大元帥なるぞ、されば朕は汝等を股肱(ここう)と頼み汝等は朕を頭首と仰(あふぎ)きてそ……。
進行係  コラ、止メロ!

    進行係、一歩前に出て、客席に一礼。

道行係  主題の外れ、進行係として気づかず、お詫び申し上げます。主題は「東京大空襲」でして、かの「大日本帝国憲法」の批判はおろか、いわゆる「大東亜戦争」――なる、戦争批判でもざいません。
     一九四五年三月一〇日、当時の東京都民が、数時間にして二〇数万人焼け死んだ。――五ヶ月後のヒロシマ・ナガサキの原子爆弾被害を別にすれば、世界最大の記録をもつ東京大空襲の芝居の筈でございました。なお、放乱言狂、作者代役大星の二人も、熱演に免じてお許し下さい。

    タイトル文字など残して舞台溶暗。
    舞台は大星ひとり。

大 星  (声の調子が、奇妙に変わっていても可し)私は作者の大星でして、年は九二才。老人ホーム入りはしていますが、動きはよたよたで、外出もままなりませず、俳優の某君の身体を借りて、なんとかご挨拶する次第です。この台本は、実を言えば、詩の、詩とは、その、ポエムの詩。ポエムとドラマの入り混じりの形で、その、ドラマが詩の形をとって出来てしまった。と言えましよう。見ている内にお分かりいただけると思います。
     それで、書いた時期がこれが不思議でして、番組の後ろの方の「栄光の殺人者」と名づけたヒロシマの悲劇――残酷な悲劇ですが、それが先に、一人息子に死なれるまえでして、それで「最初の東京大空襲」――これは実は最近でき上がったばかりです。間に十年以上の月日が経っております。つまり、ヒロシマ原爆の「栄光の殺人者」が十年も前に出来上かつていて、後の「東京大空襲」が、最近上がったばかり。歴史の順序とは逆の時間にかかれています。それで、前に出来たヒロシマの悲劇は実にスッキリと上がってますが、始まりの東京大空襲は、苦心惨憺、もうメタメタ、でも全体の形としては歴史の順になりました。(態度が少し変わってくる)……私、妙に不安に……あの、軍人勅諭の――朕ハ、汝等軍人ノ大元帥ナルゾ! 汝等ハ朕ヲ頭首ト仰ギテゾ、ソノ親シミハ殊ニ深ルベシ――大日本帝国憲法ハ生キテイル、今モ何処カデ生キテイテ……こうした芝居を上演する――こんな劇を書いた私を……いや、劇団そのものまで……非国民、非日本人――と看視して……恐ろしい――得体の知れない恐怖を覚えます。

 

 

 

解題
私は4年ほど前に、この作品のお手伝いで、大橋先生に呼ばれました。
一昨年の暮れに、ここまで書き終えたところで、大橋先生は危篤状態となりました。その時は奇跡的に回復され、新たな創作も始められました。しかし、今思い返してみますと、この作品を絶筆と言っていいのではないかと……。私は無理をさせたくなかったこともあって、先生の生まれ育った砂町のエピソードを集めた『砂町話』なるものを先生とまとめていましたが……この作品のことを、いつもいつも気に掛けておられました。ここに収録するにあたっては『砂町物語』とどちらにするかと迷いましたが、結局この『東京大空襲』にしました。この作品のほうが、大橋作品として馴染みが深い気がしたためです。
この戯曲の全体の構想は一応以下のように、纏まっていました。竹橋事件を契機として進められた、軍人勅諭、教育勅語による侵略戦争へ向けた国民教育。そして南進を決定づけ、アメリカに参戦準備を開始させた、ノモンハン事件。これらを前提条件として、真珠湾攻撃から始まる太平洋戦争を、駆け足でひもとき、東京大空襲に到るという構想です。東京大空襲は昭和十九年の暮れに兵役解除となり、砂町に戻って来た大星(大橋)と、近所の質屋のおやじを中心に進みます。それと同時に、ルメイ将軍による東京大空襲作戦指令を詩劇として描く構想も進めていました。
ここまでの大橋先生の労を無駄にしないよう、戯曲にまとめる約束を大橋先生としました。ただし今は、まとめること以上に、現代史の演劇的資料として、その構想(描き方)までも含めた、全体像を整理することにしたいと考えています。この『東京大空襲』は大橋作品のベースです。ヒロシマ・ナガサキを生涯のテーマとした大橋さんの仕事(生き様)の出発点です。現代史を読み解く鍵であり、次世代に残すべき財産であると考えているからです。

劇作家・大橋喜一は今年の五月二十七日に永眠いたしました。ささやかですが、この冊子に『東京大空襲』の書き出し部を掲載し、それを大橋先生に献げます。


今、暇に飽かして、大橋文庫をインターネット上に作っています。多くの方に大橋戯曲にふれて頂き、大橋戯曲を後世に残したいのです。      http://www.oohasikiichi.jp/
                                                            上野日呂登