マサカネ演劇研究所

台詞を忘れるということ

一年ぶりに福津市へ来て市民による民話劇団に参加する。今年で15年目になる。昨年は米倉斉加年が始めて、役者として参加するはずであったが……

15年して皆さん上手くなりすぎなので、台詞を捨てて、役で立つようにお願いする。

それが本来の演技なのだが、難しい。そして、ここではその難しさが分かっているのだから、我々もうかうかはしていられない。

台詞を先ず覚えるという役者も多く、そのやり方で作ると台詞を捨てられない。そうなると、芝居はあまり上手くないが、それでも、台詞が入らなければ稽古も進まないので、台詞を入れて稽古に入ってしまう。これは映像では当たり前であり、このやり方が正統である。

しかし舞台では台詞を入れようとはせず、先ず人格を作る。台詞を言わずとも、舞台にいることが出来るように人格を作る。その後で、台詞を入れる。いずれにせよ、劇中に台詞を繰る事は役ではなく、役を演じる演者だから、その時には役ではなくなってしまう。

だから、台詞を捨てなくてはならない。台詞を忘れて、舞台に立つ勇気が求められる。

台詞は食事のようにかみ砕き、消化し、排泄物として出すのである。台詞が出てくるときには、素材も、栄養素なども、痕跡はなくなっている。しかし、残念ながら、科学物質はそのまま残るので、有機物だけを食するようにしたいものである。