マサカネ演劇研究所

演劇読本 新劇の始まり

新劇以前にも新しい演劇が試みられました。ですが、それは江戸時代に盛んであった歌舞伎(農村部まで浸透していました)の形をしていました。日本での舞台表現(演劇)は歌舞伎しかありませんでした。ですから新しい時代やシェイクスピアを上演する時も、台詞は歌舞伎の台詞で、語りは浄瑠璃語り、衣装は和服で騎士は侍となり、上演時の風俗で描かれた芝居はほとんど観られませんでした。
観客の方は新しい風俗となっていきましたから、舞台の風俗(装束、語り口)も新しい風俗を取り入れる必要がありました。
坪内逍遥はnovelを訳し、小説として散文体で表現する新しい文学の分野を拓きました。文語体や漢文、和歌、短歌などで表現する文学のみでは、現実の社会と向き合う事が出来なくなっていたのだと思います。舞台表現からは台詞を散文体とした、戯曲という新たな文学の分野が生まれました。
戯曲という新しい言語(台詞)を得た演劇は、新劇と名付けられます。それはは旧劇(歌舞伎と歌舞伎から派生した演劇)に対して命名され、新劇とされました。
新劇は戯曲(初期は翻訳が多かった)、演出、俳優(演技者)という三つの分野からなる、今も続く現代演劇の形を生み出しました。そのことで新しい台詞を生み出し、旧劇では表現できない近代社会を描き出しました。そして新劇は芸術分野の牽引車として新時代を切り拓き、歌舞伎に変わり、演劇の代名詞となります。新劇は現代演劇の基礎を築きました。