米倉斉加年の初舞台の一つは(もう一つは木下順二作『二十二夜待ち』と言っている。)『父帰る』であった。バスケットに熱中していた学生時代に、演劇部に対抗して芝居好きな友人(米倉の郷里、福岡の人は芝居好きが多い。)に誘われて、父親役を演じている。その時演じたことが、後の米倉の演劇人生に与えたものは大きかったはずである。
最後の勉強会の時、まったく死ぬなどとは本人も考えていなかったと思うが、最後の作品としてアンデルセンの「絵のない絵本」を創り上げたいという事を言い。また「父帰る」の父親役だけはやり続けられるかも知れないし、今度やるときはこれまでとは異なるプランで演じたいと言っていた。
父親役は米倉斉加年にとって、十八番だったのだと思う。劇団制の中で芝居を作ってきた米倉斉加年ではあったが、役者は一人でも生きていけるというのも、米倉斉加年の持論であった。一役者として、父親役だけは死ぬまで、持ち続けたかったのであろう。
1983年に偕成社より出版された絵本である。
母親への想い
新しく生まれてくる命(孫)への想い
そして生き残った自らの責任
を描いている。
1987年に教科書(光村図書)に掲載されるようになってからは、本人が朗読する機会が多かった。
正確な記録はないが、少なくとも年間10回は朗読してきた筈であるから、300回以上朗読している。
2014年8月3日が最後の講演会となったが、その時にも、この絵本の朗読を行っている。
淡々とした朗読
これは米倉斉加年の記憶であり
記憶を正確に写し取った作品である
この絵本の絵は鉛筆のデッサンであり
朗読は音で描いたデッサンである
いつからか
憲法改正が言われるようになってからであるが
絵本の朗読の後に
日本国憲法の前文と9条を朗読するようになった
この絵本は
命への賛歌
その命を守ってくれた母への賛歌
そして犠牲となった幼き命への誓い
その誓いは
平和の誓い
不戦の誓い
そしてそれは国是として
憲法前文と9条で誓われている