マサカネ演劇研究所

リアリズムについてのノート
       大橋喜一
  一、「テーマの精練」ということ
  二、作劇は観客の意識とのたたかいである
  三、勉強は比重正しく
   ――現実を正しくつかむことと文化遺産の研究は車の両輪である――
  四、リアリズムについてのノート
  ①久保栄とマルクス・エンゲルスの芸術論
  ②唯物弁証法的創造方法から社会主義リアリズムヘ
  ③アイデアリズムとリアリズム…
  ④社会主義リアリズムについて
  ⑤テーマと形象
  ⑥「典型的境遇に於ける典型的性格」の問題
  ⑦久保栄のリアリズムをどう高めていくか
       
      リアズムについてのノート
      大橋喜一
      本稿は、一九七〇年一月、広島市で開かれた「西リ演第二回創作学校」の講演記録を氏が校閲し加筆されたものです。
      なお、文中に若干の注釈を附してあるのはすべて編集者によるものです。
  一、「テーマの精練」ということ

  芝居を書く上で一番大切なことはなにか。それは、当り前のことですが、自分が何を書くのか、自分の書くことは一体なにか、ということをつかむということ。それがまず大切な仕事だと思います。
  というのは、これまで若い人たちの作品を沢山読ませて頂いたけれども、一体自分が何を書ごうとしているのか、ということを、つきつめないで書いていらっしゃる方が非常に多いと感じたからです。
  そこで最初に、「自分が書くことは何か」ということをつかむ作業=「創造の理念」みたいなことについて話しましょう。
 
  「ゼロの記録」の場合
  「ゼロの記録」の創作体験に即していえば、僕は最初、「ヒロシマ」について書かずにはおられないという気持をそれほど持っていなかったのです。何故なら、僕は被爆者でもないし、広島のことをあまり知らないし、僕より知っている人は山ほどいるし、これは僕が書く題材ではない、と頭から決めていたんです。
  ところが、たまたまあることから、広島のことに触れる機会があって、これは芝居で書かなくちゃいけないんじゃないか、という気持がだんだんと僕の胸の中で成長してきました。しかし、いざそれを書くとなると、中々ふんぎりがつかない、なにを書いていいのかわからない。僕の意識の中に、漠然と広島の中のある「意識」があっても、それがなにかに結晶してこない。いろいろと本を読んだり、調べたり、そのうちに「原爆医療史」という本を読む機会があって、はじめて"これは書けるな"という気持になってきたのです。
  そこからなんです。一体自分の書くことはなにかということをつかむ仕事がはじまるのは。つまり、「ヒロシマを書きたい」というのだけでは、書くことをつかんだことではありません。一体、「ヒロシマ」のなにを書きたいのか――このつきつめがはじまります。これが僕にとっては何ヶ月間かの仕事になるのです。
  「ヒロシマ」にたいする僕なりの追求を、折に浮かぶごとにエッセイ風に、短い時で二〇〇字位、長いときには、五枚くらいずつノートしていきます。しまいには、それが二〇篇くらいになりましたが。そして、それは必ずしも、ヒロシマのことだけではありません。アウシュヴイッツと広島の違い。広島の虐殺とはどういう意味を持っているのか。医療と広島の問題。科学と殺人の関係等々………。広島に関連のあるいろんな問題を、いろんな角度から考えていくのです。
  この仕事は、実は、「おまえがヒロシマを書きたいといっている、その根源は一体なんにあるのか? 原爆医療史を読んで、"これは書けるな"と思いはじめたのは一体なんによってか?」というような、問いかけです。この問いかけを数ヶ月かけてやりました。
  その過程では、『このことがテーマになるのではないかな、いや、テーマはむしろ別のこっちの方じゃないかな』といろんな観点が試行錯誤を重ねるように検討されます。それを言葉に、文字にしていくなかで、だんだんと自分の書くことがなんであるのかわかってくるのです。
  原爆医療史を読んで何故書ける、と思いだしたのか? 読む前には、何故書けない、と思ったのか? 原爆医療史と、そうでない被爆者の記録との違いはどこにあったのか?
  一般的にいって、被爆者の場合は、あの人類未曽有の体験を受けた瞬間には、自分の上になにが起ったのか皆目わからない、全くの茫然自失の状態にあったと思います。つまり、人間が、なにかをやるという「意志」を失ってしまうようです。「意志」と「意志」がぶつかってなにかに向ってつき進む、という人間的な状態ではあり得なくなってしまっている、単なる物質状態にまで落ち込んでしまうようです。そういうものだった、と思います。原爆投下の瞬間の被爆者のおかれた状態というのは。
  ここにはドラマは産まれない。(映画なら描けると思いますが)
  しかし、「医者」はちがうようです。医者は、自分が被爆しようが、していまいが、目の前で死んでいく人間をみた場合に、これに医学的に立ち向う意志をもちはじめます。したがって、「ヒロシマ」のあの状況の中で、まず、もっとも人間的たり得たのは医者であったと思ったのです。「人間的たり得た」というのは、「人道的」という意味ではなくて、自分たちの状況を客観視しようとした、し得る存在にあった、という意味においてです。「このやけどは一体なんだろうか?」「血を吐いて死んでいくのは何故か?」――彼らはその瞬間、一般の人と同じようにオロオロしてはいなかった、と考えたい。状況に対してただちにたたかいを開始していく。そういう意味において、あの人類未曽有の体験の中で人間回復のたたかいは、まず、医者からはじまった。(未知の原子病に対する。――まだ原子病という名すらない、未知の人間の死に対するたたかい)そこで、「原爆投下という異常な状態における人間性回復のたたかい」、これがテーマではないか。ということが、論理的につきつめることによって、だんだん明確になってきた。――とまあ、こういう仕事なんです。「書くことはなにか」ということをつかむ仕事とは。
  こうやって、テーマを研ぎすましていくなかで、おのずとなにを書くのか、どういう人物が主人公になるのか、場面はどういう場面を主にするのか、ということがだんだんはっきりと浮かびあかっていきます。これが、僕は作劇のもっとも基本的な仕事だと思うのです。
  久保栄のことばでいうと、これを「テーマの精練」といっています。

  「ああ野麦峠」の場合
  「テーマの精練」ということについて、僕のもうひとつの創作体験から話してみます。僕は、記録文学「野麦峠」を読んで非常に感動したが、これは一体どういうことなのか、なにがおまえをそれほど感動させたのか、ということをやはり、何日間かかけて考えていきました。苦しい思索の作業です。
  そこで、僕がひとつ考えたのは、これは、「労働に対する工女のエネルギー」――凄まじいまでのエネルギーではなかろうかと。しかし、その「労働へのエネルギー」ということは「賃金」と強烈に結びついた労働へのエネルギーではないのか、と。
  と、いうのは、"働くことのよろこび"とよくいわれますが、これは僕は嫌いです。「賃金」から切り離された働くよろこびなんて、これはどちらかというと、労働したことのない人間のいうことなんです。"働くよろこび"というのは"賃金"と結びついて、それによって、生活するということに結びついてこそ意味があるのです。賃金をくれない労働に対するよろこびなんて、これは馬鹿みたいなもんです。
  ただ、もし「芸術」を「労働」というのなら、これは賃金と切り離されたものでしょう。しかし、それは芸術は創ること自体によろこびがあるので、ある場合には、みぜにをきってでもやるよろこびがあるんで、これは一般的な物質生産労働とはちがうと思います。
  ということで、賃金労働のために、峠をこえていくという、工女の凄まじい労働へのエネルギー。これに自分は感動しているんだと。そこで、次に考えるのは、そういう凄まじい工女の労働へのエネルギーは一体どこから産まれるんだろうかということなんです。
  これは、もちろん"貧しい"ということからきているけれども、(そこで農村の貧しさ、という問題もでてくるけれども)じゃ、その貧しさが、工女の意識の中では、なにになって現われているか、というと、これは「親孝行」なんです。さて、「親孝行」というのは正しいのか、正しくないのか? 僕は正しいと思います。「親孝行」というのは本来、自分を愛し育ててくれた親、いろんな欲望を犠牲にして努力してくれたその親に対して、なんとかして楽をさせてあげたいと思う子どもの、自然な気持であって、この人間的結びつきというのは永遠の真理だと思います。これがなくなった時、
  種族というものは滅びます。大切なものなんです。本来は。
  ところが、この本来の人間的な「親孝行」の概念を、「忠」などというものに結びつけたり、「労働」に結びつけたり、「国家体制」に結びつけたり、ということをして、一種の国家目的に利用した明治政府の「忠孝一致」の考え方こそ、最大の問題がある訳で、工女たちの持っていた「親孝行」への凄まじいエネルギーというものは、大切に考えなくてはいけない――。それじゃ一体、その親孝行の論理はもっとつきつめていくとどういうことになるのか。と次々に考えを堀り下げていきます。
  で、結局、「テーマ」は、ということになると、ひと口にはいえなくて困るんですが、そういう追求をしていくことによって、戯曲としての「野麦峠」の構想的な体系というものが、だんだんできてきます。
  工女たちが、ストライキに起ち上っていく過程があの中にでてきますが、その際、親から「裏切られる」というか、親にたしなめられる、親の口から、「そんな危険なことに参加するな」と説得される。そのことに対して彼女らがどれだけ苦しむことか。また、彼女たちが、あの雪山の厳しい峠を、吹雪をついて越えていくときに、「親のために」と思うだけでその苦しさを忘れる、というが、その彼女たちの意識に、作者の側は、どういう態度で臨まねばならぬか――というようないろんな問題が、その追求の過程で、明確になっていきます。
  その一点を僕は、「労働のエネルギー」と呼んだ訳ですが、これはあくまで富士山の頂上みたいなものであって、その裾野には、今いったように、親孝行の問題から、国家体制の問題、農村の貧困の問題と、ありとあらゆる問題が広がっています。
  その、僕が結論として呼んだ「労働へのエネルギー」ということが、本を読んだ最初からわかっていたか、というと、それはわかってない。漠然とただ自分は感動しているのです。あの雪山を越えていくときの感動というのはアルプスやヒマラヤの登山隊が登って行くときのものとは全然ちがう。何故なら、それは山のぼりじゃないんだ。貧しさから脱出するために、賃金を得るためにあの吹雪の山を越えて行く。そこに僕は感動している。それは労働と切り離してはあり得ないものです。
  「野麦峠」の場合でいえば、こういったことをみつけだしていく作業が、「テーマの精練」ということなんです。そして、これが作劇にとって一番大切なことなんです。自分はこのことを書きたい、というふうに思っているけれど、なにに感動してそう思ったのか。一体、なにをおまえは劇を通じて観客に訴えようとしているのか、ということを選りすぐって、選りすぐっていく。別の言葉でいえば、これは「自己点検」です。
  自分が、書きたいと思っていることをよく点検してゆくことです。自分は、ある恋愛がとてもかっこいい、と思っているとする。かっこいい恋愛をなにかの作品にして、人の前に提出したいと思っている。しかし、その前に、「おまえのいうかっこいい恋愛とはなんだ?」と厳しく自己の論理を点検していくことです。それをやっていくと、もしかすると書くのが嫌になってしまうかもしれない。なんだ、おまえの考えていることはそんなことか、その程度のことか、と思って書くのがいやになることもあるかもしれない。そんな時には、僕はいやになってもいい、と思うんです。その時にその作品は、一歩深まる、と思うんです。それをなにか、こう思いついたらパーッと書いてしまう、それではそのテーマの浅さしか出てこないでしょう。
  で、この「テーマの精練」ということは、なにもそう深刻なことばかりではないんで、喜劇でも、極端な場合は、ボードビルでもテーマの精練ということはあてはまる、と思うんです。なにを喜劇として笑いとばすか。ボードビル、という形式の面白さのなかに、自分は一体なにをこめ、なにをいおうとするのか。という問題はやはりある訳です。
  ですから、これまでいったことを一言でいうなら、自分の書くテーマをはっきりつかむ。苦しむことのなかから、つかみだす作業。これが作劇の第一歩であり、基本である、といっていいと思います。
  二、作劇は、観客の意識とのたたかいである
  これも、当り前のことですが、多くの方の作品を拝見して、なかなかこれができてない。
  客の意識とのたたかいである。というのは、戯曲を書く限りでは、(戯曲に限らず、詩も、小説も同じですが)詩人や小説家以上に、自分があるものを書いていくと、その書いたものが舞台で演じられて、客席からそれを観たらどうみえるか、ということをどこかで意識していなくてはならないのです。
  これは、書いてる間しょっちゅう意識する、というよりは、書いては客席からこれを観る、また書いては――という主観と客観のいったりきたりの関係なんです。これが非常に必要です。
  特に僕は、職場の作品、サークルの作品はこれが非常に欠けている面が多いと思います。(学生演劇は、もっと欠けている面があるが。)それは、客との接点――観客が、自分が書こうとしている問題について、どの程度そのことを知っているか。その観客の認識と自分が書こうとしているものが、どこで触れあうか。触れあうところから書いていかなければ観客は芝居に入ってこないものです。これは演説でも、話でも、全部同じだと思います。ある問題で話そうとすると、聞き手が知っているところから入って行く以外にない。
  芝居の場合、例えばチェーホフの「三人姉妹」の場合でいうと
  幕があく――観客は三人姉妹についてはなんにも知ってはいない。ただ、三人の娘がでていることしか知っちゃいない。そこで、これから起る物語りの内容について、先ず観客に知っておいてもらわねばならぬことをださなくてはならないが、チェーホフはこういう方法をとってます。
  あの芝居は、イリーナの命名日の朝だ。そして、父親が去年死んで、この家の家族は兄のアンドレを中心にした三人だけである。
  で、父親の葬式のときは、みぞれが降ってどうの、こうのという境遇=シチュエーションがまずだされます。
  チェーホフは、まずこれを観客に判ってもらわなくてはならないと考え、オリガの長いモノローグに近いような形でもって始めます。
  そして、この日はイリーナのお祝いの日であるのです。――そのときうしろへ将校たちがあらわれ、いろんな会話が進行していきます。
  第一幕というのは、結局イリーナの、末娘のお祝いの日にナターシャが入りこんでくる、というところで幕が下りる訳です。
  やがて、このナターシャがこの家を乗っ取って三人姉妹は家から追いだされる、という破目になってしまう。つまりは、邪悪なものが、この家を占領してしまう。現実に真正面から立ち向っていく力をもたない無力なロシヤのインテリゲンチャ……けれども、非常に美しい心を待った、この時代にあって人間らしい人物としてのこの三人の姉妹は、こうしてここを去らなくてはならない。……これがドラマの基本的な筋ですね。この出発をイリーナのお祝いの日にしている。その日に悪魔が入りこんでくる。という大変皮肉なことをチェーホフはこしらえています。
  幕があくとすぐにその必要条件を語りはじめるのです。
  これが観客との接点を作っていく仕事なんですけれど、こういうことはどんな名作にもそれぞれみつけだせます。
  イプセンはイプセンのドラマなりに。
  「人形の家」の場合でいうと、あれは金銭に関するドラマですね。「ノラ」が自分の亭主の危機を救おうとして、父親の手形だか何かを偽造して、脅迫され、それが最後の彼女の覚醒につながる、という訳です。そういうドラマの基本的な要件を満たすためには、「ノラ」と「金銭」というのっぴきならぬ関係が重要ですね。だから、幕があくといきなり「ノラ」の金使いの荒いことがどうの、こうのということ。クリスマスの買い物のお菓子が、どうの、こうのということがでてくる。そっから観せていく。
  つまり、観客になにを与えていくのか、という接点の設定。
  こういうふうに、作劇術というのは、観客の意識とのたたかいであるということ。そして、観客との接点をどこにこしらえるかという問題がでてきます。これは、まず、出発点がそうであると同時に、もっとも語りたい場、語りたい意味はなにかということ。(これは、必然的にさっきのテーマの問題と結びついてきますが)それを、どういう場面で存在させるか、という方法の問題にもなる訳です。
  ドラマをどこからはじめて、どのように展開して、どういうふうに終らせるか。これによってコンストラクションがまず、できてくる訳です。
  これを、ひとことでいうと簡単なんですが、つまり、観客との接点をどこにこしらえるか、そして、もっとも決定的な場はどこにするか、その為にはどこから話をはじめて、どこへもっていって、どこで区切るか――。これができれば、もうドラマは半分できかかっている。家でいえば、設計図ができ柱が建ったことです。……これは、大変な仕事なんです。
  古今のドラマトゥルギーの本、例えば、アリストテレスの「詩学」、フライタークの「戯曲の技巧」、その他、諸々の劇作書では、いろんな形でこのことをいっています。能の世阿弥の「花伝書」にも、この問題がでてきている。
  僕はこれを僕なりに
  呈示部
  展開部
  クライマックス
  終結部
  という一種の図式としていっていますが、これは非常に多くの戯曲に適用できる、と思います。ただし、この図式では通用しない場合もあります。僕の「野麦峠」の場合もちょっと違います。
  一貫した人物があるできごとにぶつかって、それをのり越えていくといった話ではないからです。また、ブレヒトの「第三帝国の恐怖の貧困」になると、これにも通用しません。
  しかし、イプセン、チェーホフ、その他のほとんどの戯曲は、まず客に何を呈示するか、呈示したものがどのように展開して、クライマックスに到達して終結するか、という基本的ドラマ構造は、この図式をとらざるを得ない。何故なら、こういうふうな形になった時、もっとも観客はそれを感動をもって意識するようになる。という実績があるからです。つまりは共通した、一種の美的構造になっている訳です。
  こういうことを、僕は「作劇は客の意識とのたたかいである」というふうにいっている訳です。
  三、勉強は比重正しく
――現実を正しくつかむことと、文化遺産の研究は、車の両輪である――
 
  仲間の作品はよく研究するけれども、文化遺産の研究にはそれ程比重をかけてはいないのではないか、と労働者演劇運動の共通の弱点として、そういうことを感じるんです。自分たちの間で生まれたものをよく勉強するということも勿論大切ですが、これまでに歴史的な歩みを通じて作りあげられてきた、その遺産の研究も、これも久保栄の言葉でいえば、「比重正しく」やる必要があります。
  労働者作家の中には、作品を読んでいる範囲も非常にせまい人がよくあります。本の虫になることはいいとは思いません。基本的には、自分が書きたいもの、自分の中にあるものを書いていくことですが、しかし、だからといってシェークスピアをひとつも読んでいない、というのは、これはやはりよくない。チェーホフの一作や二作もやはり読んでほしい。イプセンも全く知らないでは困る。
  僕は、歌舞伎を読んでない、というのはまたいいと思うんです。というのは、日本の歌舞伎は、戯曲の勉強をするにはあまり役にたたない、と思うからです。しかし、これも民族遺産として、演劇の勉強には大切なものをもっていますから、イプセンや、チェーホフや、ストリンドベリーやブレヒトや、外国の演劇のことばかりいっぱい頭の中につまっていて、歌舞伎となるとまるっきり知らない、というのもこれはカタワだ、と思います。日本の歌舞伎が戯曲としての思想性といいますか、そうした点で弱いものを持っているのは何故か?歌舞伎芸術が、日本の民衆と無関係な存在かどうか。歌舞伎の技術というものが全く我々のドラマトゥルギーに関係ないかどうか。こういった問題もやがては勉強していく必要があります。ただ、ドラマトゥルギーの勉強に歌舞伎から入るのは、あまり感心しないということをいっている訳です。戯曲一般からいうと特殊な点が多いですから。しかし、やがては勉強しなくてはならない。そういう点において、比重正しく文化遺産の研究をやる必要があると思うんです。
  作曲家になりたい、と思っている人がブラームスも聞いたことがない。ベートベンも第五は知っているけれども他のことは知らない。ドビュッシーもわかりません。バッハも知らない。だけど私は歌をつくりたい。――というんじゃ「あんた、そんなんじゃ音楽家になるのはやめなよ」といわざるを得ません。たとえ、流行歌を書くにしたって本当にいい流行歌を書くんなら、やっぱりクラシックの名曲の発展の系譜くらいはわかった方がいいですよ、と。素人の音楽愛好家が、うんとクラシックを知っているのに、作曲をやろうという人が全く知らなかったら、これはナンセンスです。
  また絵かきになろうとする人が、セザンヌとブラックの見分けがつかないんじゃ困る。絵画の領域において、少なくとも絵画史上に足跡を残した人たちがどういう画風を確立してきたか。そして、その画風は、その当時の社会状況のどういう関係から、たとえば、印象派というのは一体どういう状況の中で生まれてきているのか。レーピンやスリコフといったロシヤの移動派の絵画というものがロシヤの社会状況とどういう関係にあるのか、ということ。さらにいうなればロシヤのプーシュキン、ツルゲーネフ、あるいはトルストイ等の文学史上の流れというもの、国民学派の音楽、というものがロシヤのツァー体制のなかでどういう相互影響をしながら発展してきたのか――というふうなことを絵をかきたいとする人ならば常識くらいで知る必要があるでしょう。
  そういう勉強を一切やらないで、絵ばかりを画いていたらこれはジレッタント、いや、ジレッタントにも僕はならない、と思う。
  ところが、音楽や絵の領域ではこういうことは比較的わかりやすいけれども、往々にして小説や戯曲になると、現実と取り組む仕事の性質上、現実に題材をとる関係から、ややもするとこういったことを軽視する傾向に流れやすい。
  やっぱり今日の演劇の基礎というものは、生きている民衆の生活と結びつかずには意味はないと思います。しかし、その民衆の生活と結びついてドラマを作る人が、イプセンやチェーホフをひとつも読んでいない、というのではこれはあまり高い発展は望めないでしょう。
  近代劇そのものを作りあげてきた巨匠の代表作品のひとつやふたつは是非読んでおくように、ということを僕はおすすめします。ただし、ただ読んでしまえばいいというもんじゃない。僕はイプセンの一〇の作品をザーッと読むことよりは、その中の二つをより徹底して読むことの方が大切だと思います。このことは俳優についてもいえる、と思います。
  文化遺産の研究の大切さをいってきた訳ですが、じゃ、どういうものが我々に必要な遺産になるのか、ということについては、ひとつみなさんでお互いに検討して下さい。
  手当り次第に読んでいくという勉強方法もあるけれども、僕としては、シェークスピアを読み、イプセンを読み、現代ではブレヒトを読み、日本の作家なら、久保栄、三好十郎、木下順二を読み――という読み方のほうが、手当り次第にそこらにある本を読む、というよりは効率がいいし、現実的な戯曲の基本線を押えきれると思います。しかし、それにとらわれず、自分の好みの作家を出発点にすることが大切でしょう。
  ガッチリとしたドラマの基本になる作品を読むことです。
  例えば、僕の「野麦峠」の場合でも、あの中にある群衆場面を書いていますが、これは久保栄の火山灰地の中に手本があるんです。さらに久保栄の、その手本の原型はというと、ゲーテの「ファスト」のなかにあるんです。こういうふうにたどっていって、原点までたどっていってみると、なんとファストの、その場面のみずみずしいこと。
  こういうふうに、古典、ある場合にはギリシャ悲劇の中にも、素晴らしいドラマの感動を作りだすものを持っています。
  そういう基本的な名作を勉強しておくと、必ず後で役に立つと思う。そして、そういう基本的な名作の勉強会というものは、仲間うちの作品を勉強するのとは違った意味に於いて、車の両輪のように大切なんだ、ということを知っておいてもらいたいと思います。
  四、リアリズムについてのノート
 
  リアリズム演劇論、芸術論、戯曲論、というものがあって、戯曲が書かれる訳ではありません。これは、はっきりしておいて下さい。
  芸術論があって作品が書ける、と思ったらそれは本末転倒です、ということを一方に置いた上で、また正しい芸術理論を確立しないでおいてやみくもにものを書いたのでは進歩発展がない、ということも一方では考えていただきたい。
 
(1) 久保栄とマルクス・エンゲルスの芸術論
  リアリズムについての意見は、専門家の間でも非常に別れます。僕の場合は、日本に於いては久保栄に一番基礎を置いて今日に至りました。みなさんも、もし、本気になって勉強なさるなら久保栄全集の第六巻、第七巻が評論集になっているので、それをおすすめします。
  さて、久保栄のリアリズム論はどこからきているかというと、これは、マルクス・エンゲルスのリアリズム論からきています。したがって僕がこれから述べることについて、もっと厳密に、正しく知ろうとするならやはり、マルクス・エンゲルスの芸術論も読んでおいた方がいいと思います。これはどういう本かといいますと、マルクス・エンゲルスはわざわざ芸術論を書いている訳ではありません。どちらも芸術評論家ではありませんから。御存知のように偉大な哲学者、思想家、経済学者ではあっても。ただ、友人たちに芸術家がいて、その友人たちにいろんな批判をしたり手紙を送ったりしている。その芸術に関する二人の論文を集めたものを後世の人たちが編んで、「マルクス・エンゲルスは芸術に対してどういうことを考えていたか――」という本にまとめた。それを、マルクス・エンゲルスの芸術論と名づけたわけです。
  久保栄はこのマルクスとエンゲルスの芸術論を非常によりどころにしました。
  久保栄は、一九〇一年の生まれですが、その時代は日本にプロレタリア演劇運動が発生し進行していったころで、世界の歴史でいうとソビエト革命の成功、地上はじめての社会主義国家の誕生、ということを青年時代に体験しています。
  ここで、マルクス・エンゲルスの芸術論の中から、代表的な二つの例を述べておきます。ひとつは、マルクスがラッサールという人が書いた「フランツ・フオン・ジッキンゲン」という戯曲――日本でいえば戦国武将伝のような題材ですが、それについて述べた意見、これでのマルクスとラッサールの往復書簡で、略して「ジッキンゲン論争」とよばれています。
  もうひとつは、エンゲルス※ハークネスという人(注※「ハークネス・マーガレット。」イギリスの女流作家)が「街の娘」という小説を書いたのに対して意見を述べたもの。このハークネス夫人に宛てた書簡の中にでてくるのが「典型的境遇に於ける典型的性格」という有名な言葉です。……リアリズム、というものはディテールスの精密さと、細部を正確に描くということと同時に、典型的境遇というものにおける典型的諸性格を描かねばならぬ。といったことなどです。この二つはあとで述べますので覚えておいて下さい。
  ――この間、マルクス・エンゲルスの主要な文献と、久保栄についてのいくつかの話あり。略――
  久保栄は、こうしたマルクス・エンゲルスの芸術についての考え方を非常に大切にして、それを演劇の上で実践するにはどうしたらいいかを追求していった訳です。
 
(2)唯物弁証法的創造方法から社会主義リアリズムヘ
  リアリズムについて考える場合、まず日本の戦前のプロレタリア演劇史上で、唯物弁証法的創造方法から社会主義リアリズムヘと移っていった過程を知ることが必要です。
  御存知のように、一九一七年の十月、ロシヤに社会主義革命が成立して、地球上ではじめての社会主義国家が誕生しました。そこで、社会主義が現実に地上に実現したという観点から、芸術というものはどうあるべきかという問題が、ソビエトから全世界の芸術家の間にひろがっていきました。この間の事情には、戦前の革命運動の性格そのものが「コミンテルン」という国際組織があって、その指導の下に各国の革命運動が行われたと同様に、芸術の方も国際的組織をもってプロレタリア芸術運動がひろがっていったということがあります。
  ここで、ソビエトでいわれはじめたのが「唯物弁証法的創造方法」という言葉です。
  その主張を簡単に説明しますと、
  『芸術の創造において、まず大切なことは、世界観であり、哲学である。そして、その場合の哲学というのは弁証法的唯物論である。(物質の根源については、唯物論をとり、その論理をくみたてていく方法としては弁証法を使うという)レーニンの指導した革命によってこの理論は、社会科学の上で、また、政治的、経済的にその有効性が実践的に証明された。ものごとを現実から出発して把握し科学的体系を作りだしていく上に弁証法がいかに正しいかということも、社会主義国家を現実的なものにしたということで立証された。これからは芸術もこの理論によって描くべきだ。』と、私なりに要約すれば、こういう考え方ですね。
  そこで、ソビエトの作家たちはみんな、弁証法的唯物論の勉強をはじめたんです。歴史をつかむのにも唯物論的立場から掴む。ひとりの偉大な人間の偉大なアイデアによって歴史ができるなんて、とんでもない考え方だと。民衆の具体的な経済生活、その経済関係の上に政治形態、宗教、あらゆる社会構造、意識形態が成り立っている。この場合の「経済」は、下部構造といわれ、下部構造が変化することによって、その上の芸術や宗教や道徳等、あらゆる上部構造がそれに応じて変ってくる。しかし、下部構造が変れば、自動的に上部構造も変るかというと、機械的には変らない。何故なら、人間のイデオロギーというものは、その前の古い時代のものの影響を非常に大きく受けているから、下部構造が変ったからといっておいそれとはついていかないゆがみが生じる。下部構部と上部構造の間の軋轢(あつれき)、矛盾が生じてくる。
  こういう関係を、正確に把握するには弁証法的な立場=正と反を統一し、アウフヘーベン、揚棄するという、こういう把捉の仕方で押えていかなくてはならぬ。……とこういう具合に芸術家はみんな、一生懸命弁証法的唯物論を勉強しはじめたというのです。
  そこから、実は大きな誤りが生じたらしい。
  芸術は、哲学や社会科学や自然科学とはもっと違った法則で動いています。それを機械的に世界観さえちゃんとしたものを持てば、そこから自動的に、秀れた文学が生まれてくる、というふうな考え方、これは一つの幻想にしか過ぎなかったのです。つまり、社会主義思想さえガッチリ身につければ、哲学を誤りなく身につければ素晴らしい戯曲が書け、凄い絵がかけ、凄い音楽ができる、みたいなそういう期待があった訳です。
  こういうものが唯物弁証法的創造方法といわれたものの欠陥です。
  もっと具体的にいえば、例えば、谷崎潤一郎に向って、唯物弁証法についてしゃべれ、といったってきっとしゃべれない、と思います。谷崎潤一郎が偉大であるかないかは別にして、日本の文学史上で第一級の高い水準を築いた作家であることは間違いありません。その人が唯物弁証法について理解が浅いからといって、おまえは作家として駄目だといえますか? 逆に、ろくすっぽ小説にもならぬようなものを書いているけれど、頭の中は唯物弁証法でガッチリ武装している人がいるとしたら、作家としてそういう人の方が素晴らしいといえましょうか? 芸術はもっと複雑な形をとるもののようです。
  日本にも、世界観さえガッチリもっていれば、自動的に秀れた作品が産まれるという、唯物弁証法的創造方法がそのまま直輸入され、非常につまらない機械的な作品が生まれる、という時期を経験しています。しかし、その後間もなく本家本元のソビエトで、唯物弁証法的創造方法は誤りである、ということが問題になってきました。そして、それに代る言葉としてでてきたのが「社会主義リアリズム」なんです。しかしそこに移る前に「リアリズム」一般について少し考えましょう。
 
(3) アイデアリズムとリアリズム
  さて、そこでリアリズムの定義になると、むずかしくて、僕もちゃんとはできませんが、ひとことでいうなれば、リアリズムというのは作品に現実を正しく反映させるということを大切にする、そういう点では反映論だと思います。
  ある現実がある。その現実が芸術の上にどのように映しだされているか、ということ。だから、うちだされている芸術の価値を評価する場合に、その芸術が対象として扱っている現実をどのように映しだしているか、という現実との関係でとらえるわけです。リアリズムの基礎というのは、そこにあると思います。
  芸術はアイデアである、芸術は作家の想像力である、という点から問題をすすめることは、その限りではリアリズムとはいえないようです。
  アイデアリズムの例として、例えば、唐十郎という人、あの人はアイデアリズムだと思います。
  私は狐つきです、私はなんとかです、と、なにか想像の中で、こう、女体、子宮……いろいろな事象をだして、モンタージュみたいな手法を使いながらある非現実な世界をつくってゆく。これはアイデアリズムの一種だと思います。
  何故アイデアリズムかというと、作家の観念、頭の中でつくりだした想像的形象を第一にして、それが対象としての現実の中に、現実的存在をどのように反映しているか、というようなことは考えない。そんなことを考えるのはナンセンスだとする。多分『あんた芸術を知らないよ』というかも知れない。こうした発想――。これはリアリズムじゃないようです。リアリズムというのは、さっきもいったように、ある作品が産まれてくると、その作品の対象になっている世界と、その作品との関係とでとらえていく。だからといって、現実そのままを映しているのが、正しいリアリズムか、というとそれはとんでもない。これはもう素朴反映論です。一番低い段階です。現実そのままが尊い、ということじゃないのです。
  作家の頭の中で自由にこさえあげた観念より、描かれた対象の世界が、現実の中においていかに真実を映し出しているか、という面に重点をかけて考えるものだと思います。
  だから、リアリズムの作家というのは、まず、自分があるものを書こうと思ったら、そのあるものが社会の中で、客観的存在としてどういうものであり得るのか、ということから出発するのだと思います。
  そういう点で考えると、たとえば、安部公房さんの作風をリアリズムとみるかどうかは、むずかしい問題と思います。僕は安部さんの作風までリアリズムといったなら、多くの作品のほとんど全部がリアリズムになっちゃうんじゃないかと思います。
  僕は、リアリズムが良くてリアリズムでないのは悪い、などとは申しません。安部さんの作品も面白いし好きなんです。つまり、リアリズムか否かは、作品と対象になった現実との関係の仕方にあるのであって、価値判断をあらわすものではないと思います。また、ある作品がリアリズムか、リアリズムでないか、ここまでがリアリズムで、ここからはリアリズムではない、ということは実際には境界線はありません。それというのは、芸術というものは常に嘘と本当のあいの子でできているからです。
  作家が、現実をいろいろと頭の中で変える、その操作なくしては作品というものはできません。「ゼロの記録」が非常にリアリズムにみえたって、あの中には僕の空想で作った部分が、非常にあるんですから。そういう意味では、ずいぶん現実をかえております。
  作家の想像力を全く無視したリアリズムだったら、もう芝居なんか作る必要はないんですね。記録だけをつなぎ合わせりゃいいんです。それは、退屈極まりない芝居になるでしょう。といって現実はどうでもいいって、全く頭の中だけで作ったもの、それはもうリアリズムじゃない。すべての芸術は、なんらかの形で現実を反映しているでしょうし、また、どんなに写実にみえる作品でも、どこかで作家の頭の中で取捨選択をしたり、入れかえたり、変形したりしている訳ですから、あらゆる作品は作家の観念を通っているといえます。
  つまり、どんなに写実的にみえる作品でもアイデアの要素をもつし、反対にどんな芸術も、唐十郎さんの作品といえども現実の反映があるのです。
  だから、リアリズムの要素ゼロ、ということになると、これはとりとめのないたわごとみたいなものになるし、アイデアリズムの要素ゼロ、という作品もあり得ないんで、すべてこれはまざっている訳です。
  リアリズムの作風は、少なくとも客観的現実というものを作品創造の出発点にしているということに於いては、大きく共通しているんではないでしょうか。わかりきったことですけど、この辺をはっきりふんまえないと、なにもかもリアリズム、良いものはすべてリアリズム。リアリズムでないものはすべて悪い、というふうにとらえてしまう。これは大きな間違いです。リアリズムでも、つまらないものもあれば、リアリズムでなくても、素晴らしいものはあると思います。
  宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」なんかは、リアリズムではないけれども、僕は実に素晴らしいと思います。非常に好きな作品です。あれは、まあ一種の宗教的な生命の輪廻というものを描いていると思います。だから、人間が生きていくことについては、非常に多くの意味合いを与えます。しかし、じゃ、リアリズムかといえば、そうじゃない。銀河という宇宙体系の中に、少年の想像を通して物語りを展開する――。あれはリアリズムの手法ではない。一種のアイデアの手法だと思うんです。しかも非常に秀れている。
  だから、リアリズムというものは作品の傾向の判断にはなっても、作品を評価する価値の基準にはならないものです。
 
(4) 社会主義リアリズムについて
  話がすこし前後しましたが、社会主義リアリズムが唯物弁証法的創造方法に代って入ってきた、ということをいいました。ここで社会主義リアリズムの問題に触れていきます。前にいいましたように、この言葉もソビエトから入ってきたものですが、何故社会主義リアリズムというかというと、ソビエト革命によって産れた社会主義的な現実――これを芸術作品の上に反映させ、現実を社会主義の視点から描くということ。簡単にいってしまえば、大体こういう立場から日本にも社会主義リアリズム、という言葉がでてきたと思うんです。
  革命後のソビエトでは、それまでの芸術方法では描き得ないような現実のいろんな関係が生れてきました。第一に先ず、土地の私有というものがなくなりましたね。当時のロシヤでいう地主、富農、農奴という関係が打破されて、新しい人間関係、新しい生産関係がつくりだされてきました。そうすると、そういう新しい関係を描いていくには、もはやドストエフスキーが書いたような方法では、あるいはトルストイの手法では描ききれないという問題がでてきた。つまり、それまでとは根本的に異る、新しいソビエト的現実が産れてきた以上、その新しい現実に対応する、新しい芸術上の手法が要求されだしたわけです。
  こうしたことは、なにも革命後のソビエトの芸術家の間に限ってだけの問題ではありません。私たちにとっても非常に切実な課題です。
  対象=描く現実が変ると、芸術上の手法も変らなければならない、という問題は、資本主義社会に住む現代の我々自身の問題でもある訳です。対象が、描く現実が変ったのに手法だけは古いものでやっていくと、マンネリズムになってしまうし、現実と遊離もする。
  少し話はとびますが、現代の我々をとりまく現実というものを考えてみた場合にも、数年まえとはまるきり違う状況がうまれてきているようです。それはなにかというと、僕はやっぱり「コンピューター時代」といわれるものが、現代の特徴だと思う。コンピューターの登場によって職場の状況から、人間関係から、工場、あるいは事務系統のものから一切変ってきているという現実があります。そういう現実を書こうと思うとき、イプセンの手法で書けますか? チェーホフの手法で書けますか? 久保栄の手法でも書けない。何故なら、イプセンやストリンドベリーやチェーホフや久保栄の生きている時代には、コンピューター時代はなかった。この、コンピューター時代の人間の問題を書くにはやはり苦労して、全く新しい方法を自分で編みださなくてはならない。このときぼくにとって一番学ぶのはブレヒトで、彼はその糸口を示していると思うのです。今は詳しくはブレヒトについて触れませんけども。
  もうひとつの例をあげれば、明治時代の壮士芝居や新派が何故没落していったか。それも現実が変っていくのに芝居の描き方は依然として古い方法にしがみついていたからにほかなりません。新派の「不如帰」や「金色夜叉」の手法で今の現実はかける筈がない。新派が描くのは、せいぜい明治から大正の、しかも花柳界のある情緒的な世界しかかけない。逆にいうと、新派の演技方法ではもう現実は表現しきれない。それは、新派の演技創造方法、ドラマトゥルギーというものが、明治、大正、昭和と変っていくその社会的現実に追いついていけないからです。やがてほろびてゆく運命しかないと思います。歌舞伎は独特の芸術として残ると思いますが。
  少し話が外れましたが、このように「社会主義的現実を描くリアリズム」ということで、ソビエトでいわれはじめた社会主義リアリズムが、日本にも輸入されてきたわけです。ここで論争が起りました。この論争で有名なのが、中野重治対久保栄、あるいは、森山啓対久保栄、その他いろいろ起っていますが、久保栄はそれらの論争の中で次のようにいっています。
  ……社会主義リアリズムというものを日本にそのままあてはめることはできない。何故なら、現実に社会主義的状況――経済関係、生産関係、政治関係が、社会主義体制に移っているという状況があって、はじめて社会主義リアリズムということもいえるのであって、日本の現実には社会主義的な経済関係も、生産関係も未だ存在してはいない。存在していない状況を対象としたリアリズムを、日本でそのまま適用することはできない。
  一方の反論は、
  しかし、現実には社会主義の方向にむかっているではないか。世の中はソビエト革命を境に社会主義に向いつつある、
  というその観点、社会主義化をめざすという観点から、日本の現実をみて描く。そういうふうに社会主義リアリズムを理解すべきではないか、という意見。
  では、久保栄は社会主義リアリズムを全然認めていないのかというと、そうではなくて、機械的な輸入に反対した。そして、社会主義リアリズムなるものを日本に移しかえたらどういう解釈になるかについて、こう主張しました。
  我々は、いま日本の資本主義体制に反対する、という立場に立っている。だから、アンチ資本主義、資本主義に反対する、という観点から現実を描いていくということであるから「反資本主義的リアリズム」もしくは「革命的リアリズム」ということになるのではないか――。
  この主張は久保栄の「迷えるリアリズム」という本の中にでてきます。
  『社会主義リアリズムの機械的輸入をいましめる。――今ソビエトでいわれている「社会主義」とは広い意味の思想――マルクス・エンゲルスの芸術論でいう"社会主義芸術"といった使い方とは異る意味を持つに至っている。即ち、マルクス・エンゲルスの時代には生産的諸関係の上での社会主義体制はなかったけれども、スターリンの手によって押し進められた一九二八ー二九年以後の社会主義建設、その経験によって豊富にされた独特のソビエト体制での理論を指しているのであって、それは「技術」の把握に力点を置いたものである。ソビエトとは社会体制が逆であり、世界観の確保もないわが日本の現実の中に、このような、技術に力点をおいた理論を機械的に輸入することは、芸術的テーマを過小評価してしまう。そして、部分的リアリズムの安易な肯定の泥沼におち入る。」
  こういう意味のことを久保栄はいっています。つまり、ここでいわれているソビエトの社会状況というのは、革命の成立後、外国の武力干渉や国内の反革命軍による内乱の危機も一応のりこえて、いよいよ社会主義的工業化や国民経済全般の社会主義化か日程にのぼっていた時期なんですね。この時期にスターリンが説いたのは、社会主義の現実的基礎ができあがった今のソビエトにとって、もっとも大切なものは技術の重要視である、ということだったんですね。
  社会主義建設を進めるためには、国民経済の全部門が新たな近代的技術の基礎の上に再建されることが必要であり、そのためには、生産技術、管理技術、等すべてにわたって資本主義国の技術にも学び、これを追いこすことが重要であると。このような当時のソビエト的現実、社会主義的なイデオロギー体系や、すべてのものが一応できあがっている段階でいわれている理論を、全く現実のちがう日本にあてはめようとすると、芸術上のテーマを非常に過小評価してしまうことになる。と久保栄はいう訳です。
  そして、部分的リアリズム――ある部分は非常にリアリズムであるが、全休としてはリアリズムでない、というところにおち入るのではないかと。だから、社会主義的生産関係の存在しない日本でリアリズムに社会主義の名をかぶせるのは適切でない。それは、革命的リアリズム、あるいは反資本主義的リアリズムとでも呼ぶべきであると、こういうわけのようです。
 
(5) テーマと形象
  社会主義リアリズムをめぐる論争の中で、もうひとつ「森山啓」という作家との論争がありまして、ここで久保栄は大切なことを指摘しています。それは、科学と芸術の方法のちがいという問題についてです。こういうことがよく言われます。「科学は概念でものごとを認識するが芸術は形象で認識する」
  僕も安易にこう言ってきたことがありますが、久保栄は、これは誤りだといってます。テーマと形象の密接な関係をこの観点は見きわめていないと。そこで、この両者の関係をどうみるべきかについて、ゴーリキーの言葉を引用しながら説いているのですが、ゴーリキーは次のような意味のことを言ってます。
  「テーマとは、生活から印象の倉庫にとり入れられたものが、具体的な姿になることを要求しながら、形成の衝動をめざすイデーである」
  この場合、「生活から」という言葉は非常に大切です。つまり、僕たちは日常生活の中からいろんな経験を記憶の中にたくわえていますね。そのたくわえ方も、ものごとをじっくり観察しているかいないか、あるいは現実に対して眼をとざしているかいないか、で大きな開きはありますけども、とにかく印象の倉庫の中にいろんなものをたくわえている。が、それは非常にこんとんとしていて形ができていない。それが形象――ある形を借りてなんとかはっきりした姿になりたいともがいている観念……。自分をつきあげているイデー。これがテーマだということです。
  言葉をかえていえば、テーマは全体的観点に立つものです。それが、自分の生活の中での印象と結びついてはじめて形象となってでてくるというのです。
  例えば、さっき「ゼロの記録」で話したように、僕は被爆の体験はない。ないけども、広島を歩きまわって人の話をきき、本を読んでいくうちに形を成さないものがモヤモヤモヤモヤと自分をつき動かしてきた。しかし、それはどういう形象をともなうのかということはわからないんです。ところが、それを何かにむかって吐きだそう、吐きだそうとしている時にひとつの触発になったのが、「原爆医療史」ですけども、それは忽然とある形になってくるんです。
  この場合、「テーマというのは、原爆のあるなにかを訴えたいという抽象的なもので、それを形象化する努力がさっき言った、「テーマを選りすぐる」ということだと思うんです。どういう形になるかはわからないままに「広島の現実を僕はなんで書きたいのかしら」ともがいている。問いつめている。その自分の胸の中に、モヤモヤモヤモヤしているもの、形をなして前に押しだそうとしているもの――、これがテーマの原型です。それが医者の姿を借りてでてきたときにはじめて、形象となる。こういう関係ですね。テーマと形象とは。だから、テーマは全体的観点を含む。
  形象はそれが部分的に、具体的に発現したのであって、具体的である代りにそれはある部分に過ぎないのです。
  テーマは、全体的なものを含んでいる代りに抽象的である、という関係があります。だから、形象で認識するということはあり得ないと同時に、テーマの設定と切り離して、芸術的形象はあり得ないと、久保栄はいっています。
  ※「田植え」の場合にこのことをあてはめてみれば、恐らく「田植え」の作者は生活の中での印象はたくさんもっているでしょう。だけど、作者に明確なテーマ性がないとこれは芸術的形象とはいえないのです。そういう意味での(芸術的形象にまで至っていない)形象っていうのはみなさんたくさん持っているのです。うちの母さん、こうだわ。私の姉さんこうよ。うちの職場の誰それさんは誰それさんとできちゃって――。こういうのは形象ではないんです。これは、印象の倉庫にあるいろんなイメージにしかすぎない。
  それを芸術的形象と安易には呼べない。
  しかし、例えば自分の中に「現代の恋愛と一九七〇年の若者」という問題をつきつめているものがあるとすれば、そして、その若者の願いを表現したいと思っているとすれば、これはひとつのテーマですね。それが、「世帯もちの男と恋愛してしまってどうにもならなくなった女の人」といった姿に結びついた時に、それは形象になってでてくるんです。
  「現代の若者たちの生きる悩みというものを描きたい」ということは、これはテーマ性――全体の観点はあるけれどもそれは、具体的な形はもっていない。※「鈍行ダイヤ」にしても、国鉄の職場の中にあるいろんな矛盾を、なんとかうちだしたいと考えた尾津君のもっていたもの、これはテーマだ。
  しかし、そのままでは形象をともなっていなかった。それが彼の場合には、「東京まで普通列車で行こうとするある人物」という形をともなって初めて形象となった。だから、形象と漠然とした印象とは異なる。テーマを離れた形象はあり得ない。であるから、形象というのは世界認識の具体化、定着化である、と久保栄は言うのです。
  ある形象を描く場合に、その形象の底にはその作家の世界観、世界認識があります。テーマを選りすぐる、ということと、形象を練り上げる、ということを切り離しては考えられません。
  「なにを自分は書きたいのか」ということを追求しても、追求したことが観念で終ってしまうときは、これは形象と切り離しているんです。追求していくと、それがいつの間にか、場面になって表われてくる。いつの間にか、ある人間の姿をとっている。だから、「テーマを選りすぐる」ということは実は形象そのものを発展させていっている。これが芸術の仕事ですね。
  テーマを追求して、追求して、追求していくと、そのことは否応なしに形象が伴ってくる。この形象を切り離しては、テーマはあり得ない。これを切り離すと、テーマだけ、一九七〇年~、沖縄斗争~、頭の中でそういう観念の凄いのができあがって、さて形象となると、それをある身辺の現実をみてこれに都合よくパッとくっつけてしまう。頭の中にテーマができあがると、これをいれるいれものを一生懸命探す。これは一番安易なやり方で、テーマと現実にあるなにかのイメージとをくっつけているにすぎないのです。
      (注)※「田植え」―第二回創作学校に提出された桑田繁忠作「田植え」―一幕。福山の青年団演劇の出身。
      ※「鈍行ダイヤ」―同じく提出作品、広島の国鉄の職場作家である尾津訓三の一幕もの。

(6)「典型的境遇に於ける典型的性格」の問題
  芝居でも、小説でも、これは人間を描くことであるから、この人間の持っている性格――一応、人間の性格という言葉を使ってもいいでしょうし、もっと演劇的にいうなら、僕は「行動傾向」という言葉を使っていますが――それをどう掴むかは非常に重要です、
  人間は必ず行動しているんですが、その人がどういう行為を選択するかっていうと、パチンコの玉のように全く自由に選択している訳ではなくて、人間によって、AかBかの選択を迫られた場合に、ある人は必ずBならBを選択する、といった傾向があるものなんです。必ず困難な方を選択するとか、必ず美人の方を選択するとか、必ずやさしい人に参ってしまうとか。いろんな傾向があるんです。政治問題についても、むつかしい方は避けるとか、わからないこととなると突進していくとか、それから、困った時になると人の意見をきいて、その意見に従うとか、大多数の方向へ行くとか、常に少数派の方へいくとか。
  この場合、何故、彼が少数派の方へいくか、多数派の方へいくか、美人に弱いか、ということの中には、実は彼の過去が、いろいろと彼のそういう行動傾向を作り出しているということがあるのであって、だから僕は性格というより、行動傾向という方が演劇としてはおもしろいと思っている訳です。今は、仮に一般的な「性格」という使い方をしておきます。そこで状況と性格の関係についてですが、ある状況を描いた場合に、それは明治二八年だろうと、三八年だろうと、大正であろうと、昭和であろうと、いつの時代にも通用するようなものの描き方は類型である、一般的だと思います。つまり、歴史というものは、一回しかくりかえされないものでして、だから、リアリズム、あるいは典型というものは、一回限り、二度と反復されないものを描いてこそそれはリアリズムに通じるものなんだ、ということを考えていただきたい。久保栄は常にそういうことをいっていました。
  かの「火山灰地」のあの状況というものは、まさに昭和の日中戦争の始まった時期のことであって、明治維新ではないし、米騒動の時でもないし、昭和二年の大不況の時代でもない。日本がはっきりと中国本土への帝国主義侵略を始めている段階です。そして、それはそれ以後の状況とも異なるのです。「火山灰地」のどの場面をとってみても、シチュエーションをとってみても、そのように描かれていると思います。歴史のリアリズムっていうのは、そういうふうなものだと久保栄がよくいっていました。
  そういう中で、ある人間の性格というものは、いつどんなところにおいてもあらわれてくるものとは限らない、ということですね。人間というものは「典型的な状況」におかれた時に初めてそれが表われてくる。ある人間が本質的にどういう人間だったかということは、その人間を本当にギリギリの場面においてみるとわかる。つまり、人間はある状況の中においた時に、初めてその真底が現われる。だから、劇というものはそういう状況を描くものだ、ということですね。自由なある時期を任意に持ってきて描くことではない。社会の状況の中にある典型的時期というものをどうつかみだしてくるかが問題である。
  芝居っていうのは、始めから終りまで一応三時間くらいで完結しますが、劇的時間は短縮されてますから、この三時間はいく日間かを描くことができます。しかし、いく日間かを全部精密に描くことはできっこない。必ずその中のある時間を切り取ってこざるを得ない。ある作家が沖縄を描きたいとすれば、その場合に最も沖縄の本質が表われてくるようなある状況があるわけです。その状況をとらえてこそ沖縄の人たちの本質は何かということがでてくる。つまりは、ある環境、シチュエーションに人間がおかれてこそ、その人間の典型性はでるというわけです。
  人間は性格が大事であるからといって、ある人物の性格をまず作りあげておいて、それから、その人間の性格がはっきりするような形にシチュエーションをあてはめる――。こういうドラマトゥルギーは正しくない、と久保栄はいってます。
  シチュエーションと性格との関係においてはシチュエーションが優位するという、これが久保栄の考え方ですね。そうした考え方の出発点がエンゲルスのいった「典型的境遇に於ける典型的性格」ということであり、マルクスとラッサールの「ジッキンゲン論争」でもあるわけです。ただ、シチュエーションの優位ということは、シチュエーションを先に書いてから性格を次に持ってくる、というようなことではなくて、人間の真の姿というものが、あるシチュエーションにおかれてこそ明白になるんだという考え方をいっているわけです。
  で、このシチュエーションが大事だということと、劇の全体の構成の問題、テーマを選りすぐるということは、実は深いつながりをもっているものです。テーマの選りすぐりをしないで、人間の性格のことばかりつついていく――性格描写を第一次的にとり入れると、これは部分的リアリズムの罠におち入ると久保栄はいっています。マルクスの「ジッキンゲン論争」というのも、この問題を提起しているんです。マルクスは、作者のラッサールに対して、「ルッター的騎士的反抗を、ミュンツアー的平民的反抗より上においた」と批判しました。これは、ドイツ農民戦争のことなんですが、つまり、騎士――日本でいうと貴族階級と考えていいのですが、貴族階級の勢力あらそいとしての結果の、領主に対する反抗と、農民たちの領主に対する階級斗争と、この両者の作品へのあらわれ方を問題にしているわけです。
  ドイツ農民戦争は、農民の階級斗争へのたちあがりど、貴族たちの領主への反抗が結合したたたかいでした。貴族は農民のエネルギーを利用して、自分たちの敵をぶち倒すわけです。ぶち倒すともう農民たちの斗争はいらなくなって、農民の武装した力も倒してしまうわけです。これを描く場合に、リアリズムの観点でどちらを優位においてみるか、どちらにより本質をおいてみるか、という問題ですね。
  で、ジッキンゲンっていう人物が、この場合の貴族なんです。マルクスがいうのは、ラッサールのこのドイツ農民戦争の描き方は、農民の反抗よりも、ルッター=騎士の反抗を上位において現実をみている。これは誤りであると。歴史の本質としては、農民の反抗の方がより本質的な問題で、これを騎士が利用するだけ利用して、後ではやっつけてしまうというところに農民の悲劇が生まれます。
  ところが、騎士が領主に対してどのように勝利したかということは書いても、その後農民がどうなったか作家が書かなかったら、騎士が農民の反抗を利用しながら自分たちの覇権を確立したのち、農民のエネルギーがどうされたか、ということを描かないで、騎士の方ばかり描いているのでは、それは典型的シチュエーションのとらえ方がまちがっている。つまり、ラッサールは貴族としての「ジッキンゲン」の性格ばかり追求して、その劇的なシチュエーションの本質が一体なにか、ということについては追求していない。つまり、人物の性格の方に重点をおいているとマルクスは批判したわけです。
  日本でいうなら、百姓一揆を利用した侍大将ばかり描いて、農民の方を従属的に描いているかき方ですね。もし、農民に重点をおいて描くなら、この侍大将が百姓一揆を利用して勢力あらそいに勝った後、一体農民のその後はどうなった
  か、ということをきっちり描くべきだということでしょう。
  ですから、騎士が勝ったことを書いたから騎士的立場で書いた、ということではなくてどちらに視点をおいて作家が描いているか、ということですね。これが、マルクスのいうリアリズムのもとです。これがよく、往々にして、素朴というか幼稚な段階では、労働者を描いて労働者が勝ったから労働者的立場だ、労働者の敗北を描いたから敗北主義だ、といった具合にみるのとは根本的にちがいます。歴史の目で見て、労働者が勝つ必然性を持つものなら、当然勝利と書くべきでしょう。しかし、その歴史的段階で、労働者はどうしても敗北する条件性にあったら、これは敗北と書くべきじゃないでしょうか。じゃ、何故敗北したか、また、勝利を得た奴は労働者の敗北の上に何を築いたかを書いていけばいいんです。いつの場合でも、最後には「団結!!」っていせいよくいかなければ労働者的な演劇でないということは決してないのです。マルクスのいっているのは、そういうことではないということをきちんと押えて下さい。
 
(7) 久保栄のリアリズムをどう高めていくか
  また、久保栄は当時の日本の諸作家の作風を、リアリズムという観点からいろいろ批判しています。
  例えば、「世態的リアリズム」という言葉を使って、真船豊や、田口竹男、川口一郎、田中千禾夫といった作家のことを部分的に評価しているのです。これらの作家たちの、世態エピソード――世の中の人間のいろんな世俗的なことや、生活のディテールをリアルに描いたものですね。これは、学ばなくてはならないということをいっているんです。生活のディテールをきちんと押える、ということは非常に大事なことであると。
  しかし、じゃ生活のディテールばかりを描いていればいいのか、っていうとこれは困る。そういう面白さだけで、あるリアリティーを作っても限界があることを(これもリアリズムでない、とはいえないが) 「世態的リアリズム」という言葉で示しているわけです。
  そして、久保栄はこういう人たちに、もっとチェーホフに学べ、といったわけです。つまり、チェーホフは決して反復されることのない事件と性格を精密に描いているといってます。
  それにつれても、当時の田中千禾夫の作品や川口一郎の「※二十六番館」つていう作品などを、チェーホフ的方向でなく神秘主義的な方向であるとも批判しております。これは、戦前のある時期の久保栄の評論の中にあります。
      (注)※昭和七年に発表された川口一郎の三幕戯曲。ニューヨークの古いアパート、二十六番館を舞台に、そこに住む日本人の姿を描く。生活の根を失なった者の不調和で不安定な生活と心理をとらえている。「おふくろ」(田中千禾夫)「瀬戸内海の子どもら」(小山祐士)「馬」(阪中正夫)などと並ぶ初期「劇作」の代表作のひとつといわれる――明治書院「現代日本文学大事典」より~
  そして、評論の最後の方で、リアリズム演劇のこれからの方向について次のようにいっているのです。
  ―リアリズムの基礎の上に若い作家が仕事をしている。これは非常にいいことであるけれども、考えなくてはならぬことは、わが国の芸術家は階級的にはみんな中間層である。小ブルジョアインテリゲンチャである。だから、その思想的立場っていうのは強固でなく、反動勢力に対してもろいところも持っている。にもかかわらず、そうした弱点をなんとか克服して反動的な力をふり払っていこうと努力している。そして、芸術上のさまざまな体系、発展段階とあわさって、リアリズム作家たちは現在の演劇の現代的特徴をいろんな形で発堀しようとしている。そこをちゃんと評価し高めていかなくてはならぬ。その仕事をやるのが演劇批評の任務だと。
  階級的基盤としてはみな中間階級であるリアリズム作家たちが、ファシズムの押しよせてきている当時の状況の中で、非常に浮動しやすい困難な状勢の中で、さまざまな立場でリアルに現実を描き、その描いたものを検討しあいながら、より深い現実をとらえるべく高めあうことの重要件。そして、その方向は日本の場合は、反資本主義リアリズムなのだと。その以前には、プロレタリアリアリズムといわれていたわげですが、プロレタリアリアリズムっていうのはまだはばが狭いんですね。もっと中間層までふくめたアンチ資本主義の人たちが全部芸術上の統一戦線を形成して、現在の日本の(これから戦争が始まろうとしている当時の時点での)歴史的特筆をわれわれは描きとめようではないか、ということをとなえたわけです。久保栄のリアリズムはそれ以後戦時中の暗黒時代を経て、戦後はまた、自分の考え方と文化的諸政策がいれられず、書斎にとじこもってしまって、最後には自殺をしてしまうのです。その間に「林檎園日記」「日本の気象」といったふうな作品をかき、「のぼり窯」という小説もかきました。
  久保栄は自分の芸術が大衆に受け入れられることをたいへんに念願しておりました。しかしながら、日本の文化状況には深い断絶を感じていて、自分のようなインテリゲンチャの仕事は、そのま書では大衆の中におりていくような条件がない、ということもいっているのです。だから、いかにして大衆劇を自分たちは書くのかという課題を抱えていたのです。そして、それらは次のプロレタリア階級に渡さなければならない。プロレタリア階級の芸術の担い手を育てることなくしてはありえない、というのが久保栄の持論だったと思います。
  大変おおざっぱですけれども(僕自身まだ整理の途中ですが)久保栄のリアリズム論というのはこういった骨子のものと思います。そして、その考え方を基調にして、今、結論的に考えることは、リアリズムというものは、作品の評価にあたって、その描かれている現実対象との関係においてとらえていくというのがまず基礎であります。それから、「典型的境遇における典型的性格」という問題は、今日ではさらに発展させて考えられなければ、それだけでは現実の把握はできないと思います。
  久保栄の理論と、さらにブレヒトの理論との間にはどういう差異があるか、あるいは久保栄とブレヒトは対立するものか、あるいはこれは連らなるものなのか。というようなことも、将来ぼくは理論的課題としてやっていかなくてはならないと思ってます。
  そこで、最後に、久保栄のいっていた「否定的リアリズム」という言葉に関連して、僕が以前にかいた「コンベア野郎に夜はない」について、いま自分が考えていることを話します。というのは、芸術理論と実作との関係がいかに密接なものであるか、ということへのヒントになるかもしれないからです。
  「否定的リアリズム」という言葉がどういう意味で使われたかといいますと、これは一ロにいって、小ブルジョア階級の思想の芸術的反映としてでてきたと思います。つまり、ブルジョア民主主義というのは、いうまでもなく封建制を打破するために市民階級、ブルジョアがたちあがったものですね。しかし、これはブルジョアだけではたたかえないので、いわゆる庶民ですね、次のプロレタリア階級になる訳ですけど、この庶民階級と一緒になって封建制とたたかいます。そして、市民権力が確立します。いわゆる、フランス革命のような形が成立するわけですね。その結果、民衆は、プチブルジョアも含めて、封建勢力をぶち倒したことによって、これで我々の世界がおとずれたと思う。
  ところが、革命の結果、権力をにぎったのはブルジョアです。そして、プチブルジョア以下の庶民階級は芸術を作りだしていくほどの生活のゆとりを持っていない。だから、やはり芸術を作りだすのは、小ブルジョア階級ですね。
  この小ブルジョア階級がブルジョア階級と一緒に封建勢力を打倒したんだけども、打倒した後で、市民権力を握ってしまったブルジョアによって遠ざけられてしまう。つまり、自分たちは封建勢力は倒したんだけれども、次の世界は自分たちの世界ではない、という時に小ブルジョアが反抗します。
  しかし、小ブルジョアの反抗は結局つぶされてしまいます。そして、悲しい幻滅におち入ります。そういうものの芸術的結晶が「否定的リアリズム」なんだ、と久保栄はいってます。
  つまり、資本主義に対する否定的な見解をはっきりうちだしてはいる。しかし、どうやってそれから脱出するかがみえない。こうした傾向の代表的な作家として、ドイツのハウプトマンとハイエルマンスをあげています。
  典型的な例は、ハイエルマンスの「天祐丸」。漁船天祐丸の戯曲ですね。
  これは、僕もくわしい筋は忘れましたが、船主がオンボロの船に漁民たちをのせて出帆させる。そして漁にでている漁
  民たちは暴風雨で死ぬわけです。今日でもつづいていますが、つまり、資本主義のもっとも悪しき様相の中で、漁民たちが、犠牲になっていく姿を書いた一種の悲劇なんです。
  ハイエルマンスというのは、小ブルジョアであって、こういう現実――否定すべき現実をみているのです。しかし、じゃこういう現実をどういうふうに打破していくかという観点なのです。
  資本主義の腐敗っていうものは、非常によく描けているわけですが、しかし、もうひとつ先の打破の方向っていうのは作家にはみえてないんですね。みえないから作品は、悲哀と幻滅の中に終ってしまうわけです。これを否定的リアリズムというわけです。これは、リアリズムの発展段階で、小ブルジョアが当然おち入る傾向であると。
  そこで、僕の「コンベア野郎に夜はない」のことですが、僕はプロレタリアの出身であるけれども、あの作品は久保栄のいっていた否定的リアリズムにおち入っているのではないだろうか? ということを考えるわけです。あの作品に書いたような状況から、労働者がどのように脱出するか。なかなか脱出の方向かみえない。みえないから結局みえないままに書いた。でも、あの場合、みえないからといって、これに「下うけ共同労働組合を作れ!!」といってもこれは解決にはなりません。
  それは政治上のスローガンであってね。
  だから、あれはいいも悪いも、僕の能力の限界であって、能力の限界というのは、筆の限界というよりは、その現実からどう脱出するかの把握のしかたの限界です。つまり、あの現実を十年か二十年先からみると打破するめやすは実はこういうところにあったんだ、ということがわかるでしょうが、いまの僕にはみえていない。どこかにそれはあるんだけども、それがなんだかわからないから、全体が脱出口のない形になってしまった。これを、もし久保栄が生きていたらどういうだろうか?「大橋君、君は現代の大資本と中小企業の生産関係のゆがみ、日本の産業の二重構造というような問題を喜劇として、ティピカルにかなり典型的に描いている。それはいいけれど、結局、君も否定的リアリズムにおちこんでいるな。それの脱出の方向がみいだせない。だから、君の作品はもうひとつ弱い。あの状況はどこかに脱出口の萌芽があるんじゃないか。それがみえてきたら、あれは本当の反資本主義リアリズムに到達する。(ブレヒト流のことばでいうなら、変る、変革すべき条件が提示できたならば。) そこへいくことのできぬものを打破するのが今後の課題だよ!!」
  久保さんはこういってくれたろうと思うんです。しかし、僕は四年たった今頃やっと「あっ、否定的リアリズムなんだ。『コンベア野郎』は」と思いついたのです。
  これは否定的リアリズムなんだ。リアリズムとしては一次元低い段階でしかあれを描くことができなかったと。
  久保栄が生きていたら、おそらくその場で、「大橋君、君は何故まだ否定的リアリズムを脱出できないんだ」といわれただろうなと思います。そうすると僕は、少なくともその一言によって、三年は理論的に短縮できたろうと思います。もっと早く理論的に気が付いていたら、次の作品への発展のさせかたが、こうもなったろう、ああもなったろうと考えるのです。こういうところに、芸術の理論的な追求と創造上のいろんな関係、問題があると思います。だから、もうそろそろみなさんもね、頭でっかちになる必要はないけれども、芸術理論の問題を、創造の問題と、車の両輪のように大切にして勉強されていっていいのではないか、と思います。演劇会議の機関誌などをみても、リアリズムという言葉がひんぱんに使われていますけれどね。それを理論的にもっともっと追求する必要がある。
  僕たちは、現代のリアリズムを、もし広汎な戦線統一でとなえるなら、久保栄があの時期に反資本主義リアリズムをとなえた意味に学んで、しかし、今日ではもっと違う発展したリアリズムとしてですね、つまり、ベトナム戦争があり、日米安保条約がありと、こういういろんな条件の中での我々のリアリズムを確立する必要があると思います。
  これは実際には大変な仕事だろうと思います。かって戦前の文芸評論で若かりし時代の蔵原惟人さんが、芸術論争の真ただ中に芸術論をひっさげて登場したような形ですね。現代の七〇年代の我々のリアリズムはこうじゃないか、と喧々囂々わいわいやりあう。そういう状態をもっと作りだす必要があるでしょう。しかし、残念ながら今の新劇界には、かってのそういう白熱した状態はみられない。それは、演劇の専門家としての僕たちの怠慢のせいもあると思います。日本の演劇の中心部隊である専門演劇人たちがね、我々の演劇理念はレパートリをみてください、とこういってすましているような状況があるのです。
  いま、実際そうなんです。東京の専門劇団で演劇理念をかかげているところはほとんどありません。これは、僕たちの怠慢だと思います。
  かっての新劇は、戦前はファシズムヘの抵抗線を形づくっていったし、戦後はレッドパージにあったりしながら、とにかく新劇を、歌舞伎でもない、新派でもない、現代のリアリズムの可能性を待った演劇として、日本演劇の主流に押しだしていったのですから、これは大変なことだったろうと思います。ぼくは、この功績は認めてもらってもいいと思います。いいと思うんですけれど、『かって築地時代にこうたたかいました。戦後のああいう困難な時期にこうやって新劇を作りだしまじた。そして、今でも「安保体制打破、新劇人会議」に私は加盟して、会費を月に一〇〇円おさめて、で、新劇をやっております。』 と、そんなことでなんとなく日を送って、小屋とスタジオをクルクル回って、それで我々は七〇年をたたかっているんだという。――これは幻想じゃないんでしょうか。
  僕は、広渡君がいうように、我々の基本線は舞台にあるんだから、舞台に精励することでもって、七〇年をたたかうんだと、これは、間違いないと思います。
  だけど、それじゃどんな芝居でも、一生懸命舞台に精をだしていれば、それが七〇年のたたかいになるんならね、こりゃ、こんな楽なことはないと思います。一体、何のためにこの七〇年にね、我々はシェークスピアのこの芝居をやっているんだ。何のために七〇年にジロドウのこの芝居をやっているんだ、というその理念が確立されないで、それでもって舞台こそは我々の生命だといっていたんでは、「もう芝居なんかやっている時期ではないんだ。芝居なんかすてて三里塚へ行け!!」とこういわれてもね、返事のしようもない。勿論、そういう論法はこれはまちがいだと思いますが。
  しかし、ぼくは「新劇人」二号に書いたように、
  我々は理念がないのに理念があるような気になっているのではなかろうか。そして、考える時間さえない。芝居が忙しくて。僕自身でさえそういう状況だから他の人も大差はない。これでは、仕方がないな。しようがないな。あんまり変なことをいってはずかしい思いをしたくないからって、ぼくも一生懸命考えます。こういう状況なんですよ、我々は。
  ということを僕は恥をさらしていったんです。
  もうこの辺で、僕たち専門人も、今日の状況にみあった芸術理論を展開していかなくてはならない。ひとつ、あなたたちもやってほしい。
  以上、大変未整理なままにリアリズムのことを申しましたが、みなさんは、みなさんなりに受けとって疑問な点は疑問としてはっきり持ってもらいたいと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
      一九七一年一二月一日発行
      大橋喜一 リアリズムについてのノート
      編集・発行人 西日本リアリズム演劇会議
            中国ブロック創作学校運営委員会
      編集責任者 土屋 清
      発行所 劇団 月曜会
      広島市庚午北二-一-二八
      印刷所 西日本印刷株式会社
      広島市外祇園町長束一四七