米倉斉加年を失って三年目、やるべき事はやっているが、何も成してはいない。
何かを成すことを求めているつもりでは無いが、ちと辛い。
しかし、マサカネ一座の力は付いてきているように思う。
演技は露出しなくては意味が無いが、露出していないときの修養がなくては進歩はない。
修養は出来つつあると思うが……
但し、何かしら演技者としての活動をしている人には慢心が見え、
演技者としての活動をしていない人には、危機感の欠如からの慢心が見える。
これをなんとかしなくては、これまでだ……成すべき仕事があればいいのかもしれぬが
仕事があったらあったで、修養が出来なくなるし……難しい
しかし、もう少し生活に追われずにいられたらなと、思わずにはいられない。
北きつねのゴン太郎 (木曜日, 29 12月 2016 09:51)
マサカネ一座のサイトを、読ませていただいております。
米倉氏は、俳優として、また、画家としての足跡を残されて
いかれました。
これを引き継ぐことは、容易なことではないと察します。
このような状況において、米倉氏の演劇を継承していく
ことが、残された者に課せられた運命であり責任ではな
いかと思うのです。
これからにおいて、演劇に対する米倉氏の魂の入れようと
ともに、それを発展させる前向きの姿勢も求められるので
はとも考えます。
新しいマサカネ一座の発展を願うなら、このように思うとこ
ろです。
一座の団員についても、活動状況についても、
写真や動画などで見られたらもっと知ることが できるのではないでしょうか。(you tubeとか)
益々の劇団の成長に期待しております。
一座の皆様、良いお年をお迎え下さい。