マサカネ演劇研究所

5月27日 ヒロシマ

何という偶然だろう。

ヒロシマを描き続けた、大橋喜一の命日はと、アメリカ大統領がヒロシマを訪れる日が同じ日になるとは。

私は昨日、墓参りに行き、オバマのヒロシマの映像を見た。

大橋さんはどう思ったろう、父はどう思ったろう……。

大橋さんはヒロシマの作家であると、僕は認識し大橋さんの所に通っていた。

ヒロシマ・ナガサキの時代に生きていた演劇人で、ヒロシマ・ナガサキと関わっていない人は、おおよそ演劇人とは言えない。その中でもヒロシマ・ナガサキと最も寄り添った演劇人が大橋喜一と米倉斉加年であると思う。

大橋さんとヒロシマの出会いはいつで、どういう経緯でヒロシマの作家になったかは知らない。

大橋さんは劇作家を辞めて、版画家になるつもりでいた。った版画はヒロシマであり、原爆ドームや市電の路線図であったりする。パノラマ写真も作っていたし、パノラマ写真的な戯曲の構想もあった。また、戦争終結のために必要というならと、原爆を落としても人を殺さない方法も考えていて、戯曲にならないか考えていたが、それは不可能であると言っていた。

今もなおヒロシマ・ナガサキを理解出来たとは言いがたい。

がしかし、ヒロシマ・ナガサキが平和の象徴として世界に広まれば、世界平和も夢では無いと思う。

そう信じたい。