逆撫で

逆撫で
これは宇野重吉読書術であるり、台本の読み方だ。と言っても台詞術ではなく何が書かれてあるかを知るための読み方である。
読書術には速読術と遅読術という括りかたがあると考えられる。速読術は知識を得るため、遅読術は理解をするためと言える。逆撫では遅読術の方である。
とは言え台本を理解し台詞を言うのは遅読術では難しい。遅読術で理解した、内容を説明してもそれは台詞にはならない。内容を理解することと、台詞術は相関関係が薄い。内容が理解出来なくとも台詞が上手い役者がいれば、内容が理解出来ても台詞が下手な役者もいる。理解出来なくとも上手い役者を芸人と言い、理解出来ているのに下手な役者を(新劇)俳優という分け方もある。ちなみに役者は舞台で演技をすることを生業とする物を言う。
新劇の世界では上手くなくとも、理解出来ている方がいいという訳なのだが、上手い方が説得力があるわけだから、理解して上手ければ言うことがないはずである。
そこで、逆撫でという読み方であるが、この読み方は、書かれている事を、そのまま読むという読み方である。
一つの語句に作家は様々な思いを込めている。人が発する言葉は実に複雑である。本心と言っても、たとえ言っている本人がそう言ったとしても、そうではないこともある。その上そこにドラマが生まれることも少なくない。
つまり台本を理解をするための読み方は、一通りではないと言うことだと思う。一つの答え(読み方)を求めるような読み方では無い読み方、それが『逆撫で』と言う読み方では無いかと、私は理解している。