宇野重吉先生の話2

新劇は政治のプロパガンダとして演劇を利用し、日本の演劇を大きく後退させたと言う人がいる。そして、その代表的な存在として宇野重吉は語られる。
日本の近代演劇の始めは、マルクス主義に根ざした、プロレタリアレアリズムであった。マルクス主義から生まれた社会科学に基づいた社会認識が、新しい演劇を作り出したのである。新しい社会(工業化によって生まれた労働者が多数の近代社会)を理解するには新しい社会認識が必要であった。
それを始めに手に入れたのが新劇だったから、その影響力は大きく、ある人たちにとっては驚異であったに違いない。その為、戦前戦中は弾圧され、戦後は一時もてはやされ、政治に利用したいという権力志向が強い演劇人が出たのも事実である。しかし、朝鮮戦争から行動成長期にわたっては、徐々に疎まれるようになった。
新劇はその舞台上で構築される劇的世界に観客を引き込み、実生活と向き合わせる。実生活からの逃避をゆるさない。それが生きると言うことだから、実社会で生きている人たちと共にありたいから、そういう芝居になる。
宇野先生の芝居はだから厳しかった。社会を動かし引っぱっているのは政治家でも、金持ちでもない、額に汗して働く人々である。その人々のための芝居を作る。それが新劇であり、宇野先生の芝居であった。
余談であるが、新劇は戦前戦中に大変残念であるが二派に別れていた、時代の流れが強すぎたのであろう、何とかその波に乗ろうとする派、その波に逆らおうとする派である。演劇は時代の流れには逆らえないが、その流れを作っている行列には参加してはならないと思う。それが演劇的立場である。宇野重吉はその立場を守っただけだと思う。そして宇野重吉は戦後、不幸にも別れてしまった二つの流れを合流させた。
宇野重吉は現代演劇の父である。