助サン 角サン

助サンと角サン
どのような芝居でも一人では出来ない、だから一人芝居は嫌いだと、米倉斉加年は常々申しておりました。その為に劇団に所属し、退団後は自ら一座を立ち上げたわけですが、時には他社(商業演劇など)出演もありました。
そんなときには必ず、二人のお伴がおりました。それは助サンと角サンならぬ、助川さんと山梨さんです。
舞台に立つ役者は等身大でありながら、等身大では役を演じる事は難しいのです。とは言え、映像のようにアップして、姿を大きくする事は出来ませんし、ウルトラマンのように大きくなることは不可能です。役者は等身大ではあってもその存在を大きくしなくてはならないのです。
舞台で役者が出来ることは役に集中することです。自分のこと、家族のこと、愛するもののことも忘れて、役に集中することです。その為に米倉は劇団で活動をしましたが、他社の舞台では二人の存在が米倉斉加年の集中を作りました。米倉は無私の心で役を演じ、その米倉を助川・山梨両氏は身を捨てた献身で支ました。地方公演では一月以上であっても寝以外は、舞台は本より劇場の行き帰りから、朝昼晩の食まで三人は共に過ごしました。
米倉と連れ添うように演劇を続けくれた人もいます。それは劇団民藝水品演劇研究所の同期生で、それ以降、常に近くに住み米倉斉加年の世界を共に歩いてきた尾鼻です。
宇野重吉にも、宇野重吉の演劇を支える人々がいました。山本泰敬、金田正子、内田喜三男、米倉斉加年、三平です。この6人は身を捨てて、宇野重吉に尽くしました。それぞれ才能豊かで、演劇人として一流でしたから、6人それぞれにシンパシーを抱く人は、宇野重吉を批判しました。それぞれの才能を殺したというのです。
しかし新劇は一人一人の意志で、一人一人の利己心を捨てて、演出家の志に呼応するものです。言い方を変えれば、志があって、その志に呼応してくれる仲間の力量で成果が決まるものなのです。
志を持ち、志によって人が集まり、その志を集団として創造し、その志をより多くの人々に伝播することが演劇活動ではないでしょうか。