マサカネ演劇研究所

冬の時代

こんばんは。金島です。

本日は勉強会、お休みをいただき、
劇団民藝の『冬の時代』を観劇してまいりました。

木下順二作品。僕は民話劇がとても好きだったのですが、
木下先生のこういった戯曲は、読むのも観るのもはじめてでした。


二幕の終わり、渋六の
「いや、忍術なんてものはやっぱり存在しないってことさ。一歩一歩、ふつうに歩いて行かないことにはどうにもならんということさ。」というセリフ。
一回読んだときにはわからなかった趣を感じました。
一歩一歩ふつうに歩くしかない。なんでも性急に問題を解決しようとはしない。
タイミングを自分勝手に定めては、それこそ自然の摂理に反することになる。
時勢や機運を見極める。それまではじっと力を蓄える。

そして三幕の終わり、同じく渋六のセリフ
「それでやがてわれわれが死んだら、また若いものがやってくれる。われわれと同じような体験を繰り返しながら、…」

僕はこの作品と出会うまで、大正という時代のことを詳しく知らず、ろくに知ろうともしてきませんでしたが、
『冬の時代』の、実在の人物をモデルにした登場人物たちにとても共感するところがありました。
この世の中をもっと、より良くしていきたい。

誰に教わったわけでもなく、何かに影響を受けたものでもなく、
自然と僕自身の中で感じてきた思いと、時代を超えて相通じるものがあり、なんだか感動しました。

しかし、焦ってはいけない。一歩一歩ふつうに歩く。


僕は、この作品を通して、堺利彦という人物を好きになりましたし、
木下順二作品がますます好きになりました。

そして、僕がこの先歩むべき方向を示してくださった故米倉先生のご恩に応えるため、
今後も一生懸命頑張ってまいりたいと、改めて思いました。


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コメント: 1
  • #1

    葛山耿助 (土曜日, 25 4月 2015 15:57)

    冬の時代なのに、意気盛んな若者達の物語。
    それは春が来ると信じているからだろうけれども、
    春は来ない。
    人は夢を叶えたときよりも、
    夢を見ているときの方が幸福感、満足感が高いという。
    夢を語ることこそ意味があり、それを実現することには意味が無く、
    故に、ドラマがあるということなのだろうか……