解釈

芝居の世界では、盛んに解釈をすることがある。それは、台本を読み、台本の底に流れる役の意識や、作者の意図を考える時である。役者も演出もある意図のようなものを理解すれば、表現が出来るように考えられるからである。

しかし、解釈で表現は出来ない。また、書かれていることを、書かれているままに表現しなくては作品を理解したとは言えない。芝居とは作者が書いた文章を、演出が舞台に立体的に動的に再構成し、役者が自分とは異なる生身の人間を演じる事であり、作品の解釈をすることでは無い。作者にしてもテーマを決めて、その理想のテーマに向かって物語を進めるのではない。素材(役)を考え、状況を設定することで物語が生じる。物語が面白くなるように、素材(役)を作り、状況を設定するのが作家の仕事の大部分なのである。

つまり芝居は戯曲に縛りを掛けるものではなく、小説等と同じように、戯曲には自由の翼が書かれていると読むべきである。「下手な考え休むに似たり」の格言通り、解釈は下手な考えで有り、無用なことだ。解釈は自由な表現を拘束し、自由の翼を切り取ることだ。

しかし、法の文章は違う、縛りを掛ける文章である。法を破った者を拘束するための文章である。解釈で自由の翼をあたえることを赦してはならない。

戦争をしないと言うことは、挑発にもならないと言う事である。威嚇があってもはっきりと戦闘を仕掛けられない限り、自衛もしないということである。出来ないのではなく、しないのである。解釈で出来るとしたら、その解釈が出来ないように、改憲すべきだ。戦争をしないと言うことを、法律で縛りを掛けるのである。

日本は本来、丸腰でなくてはならないのだと思う。しかし自衛隊を持つ。それならば、やはり、その自衛隊は国外へは丸腰で出るしかない。人の命を絶つ道具で、身を守ることはできない。相手を威嚇し、やるならやるぞとの脅しは、やらないと言う考えとは相容れない。