一幕
    砂町焼き場道
   
一場 亀の湯
   
進行係  こんにちは、本日はようこそお運び下さいました。
          僕は進行係をつとめる作者を演じます。作者であると同時に、進行役を務めると言うことです。そして、実はこの芝居はこの僕の話ですから、僕を演じる若い俳優が登場します。つまり、僕が二人出てくるわけです。まぁ僕の方は進行係ですから、初めのうちだけお付き合い下さい
          今日のお話しは東京は下町、砂町が舞台です。砂町はぼくの生まれた町です。
          砂町焼き場道。今では銀座通りと言って賑わっていますが、僕が子どもの頃はこの銀座通りは、砂町焼き場道と呼ばれておりました。
          砂町には当時、大きな火葬場がありました。ですから砂町と言えば、焼き通り、焼き場道として、知られていたのです。
          僕は一度目の召集の時に「どこから来た?」と上官に問われ、軍隊式に大きな声で「砂町であります」と答えました。すると「そうか焼き場道か」と言われ、今度は大きな声が出せずに、小さい声で「はい、そうであります」(直立不動で小さい声で答える。)と答えました。
進行係  僕は砂町が好きでしたが、砂町と言う時に少し躊躇するようになりました。
          ぼくの家は、砂町の亀高にありました。亀高(かめたか)という土地は、今でもある亀高神社の周辺で、ぼくの家はその神社の脇を抜けた裏側でした。つまりぼくの家は神社の敷地に立っているのと同じでありました。
          当時、亀高は新興地で、家々が建ち並んでいました。ただ、その家々と道を隔てた反対側の一画には、なぜか一軒の風呂屋だけがポツンと建っておりました。道のこちら側には家々が建ち並んでいるのですが、なぜだか向こう側には風呂屋が一軒建っているだけでした。
          その風呂屋は、ちゃんと風呂屋らしい風情を持った風呂屋でして、土地の名前からとった
          のでしょう、「亀の湯」と申しました。
         
         
二場 二度目の召集令
   
進行係  時は、昭和十七年の三月。前年の十二月八日に大日本帝国は真珠湾を攻撃、アメリカ相手に宣戦布告。その翌年の三月に、ぼくは二度目の召集令を受けました。
          二度目の召集であったので、訓練もなく、召集令を受けてから入るまでに、三週間ありました。一度目の招集の時は、すぐに入隊でしたから、今回は召集令を受けて、長い時間があったわけです。これから始めますのは、その三週間の話です。
          僕は一度目の召集をきちんと勤め上げましたから、アメリカとの戦争が始まったからとは言え、こんなに早く二度目の召集が来るとは思っていませんでした。それでも「一旦緩急あれば」と教育勅語で教育されていましたから、死ぬことは覚悟していました。こんなに早く二度目の召集が来たのですから、死を覚悟せざるをえませんでした。
          ただ、死に場所である戦場に行くまでのこの三週間をどう過ごしたらいいのか、僕には何の覚悟もありませんでした。
         
          当時、ぼくの家は、――家と言えるような代物ではありませんでしたが――、新興地の亀高にありました。ぼくの家は二階建ての二間長屋でして、一階には祖父母が居て、二階がぼくの部屋でございました。
         
    もう一人の僕大星十一が登場する。彼は窓から亀の湯をぼんやりと眺めている。進行係もまだいる。
   
大 星  ずいぶん亀高も家が建ち並んだもんだな。
   
    「亀の湯」を眺めている。
   
          銭湯って言うものは何だってあんな風をしているのかな。……貧乏長屋の安っぽい屋根が連なっている向こうに見えるからかなぁ……、ここから観る銭湯はいっそう豪奢な感じがするねぇ。でも正面だけなんだよなぁ、……どうしてかなぁ。
進行係  暖簾の下がった入り口は銭湯独特のもので、東京の銭湯はどこでも大変豪奢な構えです。浴槽と洗い場は相当の高さを持っております。高い壁の上の方はガラス窓で明かりが取り込めるようになっていますし、屋根の中央の線に沿って突き出して作られている処からは湯気が立ち上っております。僕は部屋から見えるその美しい景色を、ただただ見ていました。ぼんやり動く湯気を眺めていました。
          銭湯には、、他国には決してない、日本美があるように感じて、眺めていました。
          この話は夢のドラマ。
          それは夢のような風景でした。
         
         
    二幕
    砂町・亀の湯・出歯亀話し
         
一場 月夜
         
進行係   気がつくとぼくは部屋を降りて、外へ出て、亀の湯の表に立って、月を見上げていた。
         
    彼はボンヤリ夜空を見ている。
    夜空は、美しく見えた。輝いて見えていた。
    彼は月の魔力に支配されたようになって、
    「月はおぼろに東山」と彼は繰り返した。
   
大 星  (浪花小唄)月はおぼろに東山
           霞(かす)む夜毎(よごと)のかがり火に
          夢もいざよう紅桜
          しのぶ思いを振袖(ふりそで)に
          祇園恋しや だらりの帯よ
         
    亀の湯の表に立つ彼を、後ろの方からのぞき見る女が一人いる。この女は彼の様子を伺い、これは怪しいと刑事を連れてくるのである。
         
          夜空は得も言われぬ美しさである。銭湯から出る湯気は、おぼろ月の美しさを一層際立たせていた。
          その美しさは尋常でないように感じた。
          確かに尋常ではなかったのである。
          おれは東の方を向いて立っている。
          おれは、まず廻りを確かめた。
          誰も居ない。
          亀の湯の脇からさっと入った。
          それからそうっと裏へ、丸太やなんかをまたいで裏へ回った。
          見えるところまで行った。
          すると丁度恰好の穴が開いていた。
          そこから覗いた。
          一分か二分たった。
          その時、一人の女がこちらを指さし、「あれ、あそこから誰か覗いてる」と言った。
          目があった。
          おれは……おれは……
          裏の草むらにぱっと、飛び出した。
          その途端、おれは背中から飛びかかられ、押し倒された。そして大きな声を聞いた。

刑 事  出歯亀とったー!

    彼が飛び出したところには、刑事だけではなく、先ほどの女、その女が声を掛けたと思われる野次馬が数人居て。捕まった彼を取り巻いた。
    暗転。
   
   
二場 埓

    亀高交番。巡査も居て、お茶などを入れたりするが、口は挟まない。
   
刑 事  名前は。
大 星  (沈黙)
刑 事  黙ってて、すむと思ってんのか?
大 星  おいら……。
刑 事  おいらじゃね! 名前は!
大 星  なにも覚えていません。何であんな事になったのか分かりません。きれいな月でした。何だか銭湯もきれいに見えました。
刑 事  そんな事は、聞いてねぇんだよ。(大星の様子を見ている)
          名前は。
大 星  (沈黙)
刑 事  名前を言わんか、こいつ。(ゴツンと頭を殴る)
大 星  大星十一であります。
刑 事  なんだ! 大星? スケベ大星か!。
大 星  あのー、刑事さんは自分を知っているんでありますか?
刑 事  俺は埓だ。スケベ大星くん。
大 星  え! じゃぁ、善松のところのおいちゃん……。
刑 事  そうだよ。
大 星  そうでありましたか、善松のおじさんでありましたか。そうだ、善松は、あいつはどうしましたか? 海軍さんですよね?
刑 事  ああ、連絡ねぇけど太平洋で戦ってるだろうよ。お前が馬鹿なことをやっている間にな。スケベ大星。
大 星  ……どうしてだか分からないんです。「出歯亀とった!」と言う声で、気がついたんです。来週の初めに入隊です。二週間前に二度目の招集が来たんです。婆ちゃんに言われて身延山に行ったりしてたんです。ぼくはどうしてこんな事をしたんですか。
刑 事  招集……二度目の招集か……。オレが聞く方だよ。どうして出歯亀なんかしたんだよ。
大 星  部屋から銭湯の上にぽっかり浮かんでいる月を見てたら、なんだか変な気分になって。
          ぼくは新青年を通読し、小酒井不木に傾倒していました。中でも彼の論文の一つ、デバカミズムには強く引かれておりました。
          デバカミズムとは月夜の晩などに出歯亀になる習性をいいます。
          出歯亀そのものは犯罪行為です。被害者からすれば、言語道断の行為です。社会的にも許されない行為です。被疑者には、二度と出歯亀をしないよう、させないように処罰しなくてはなりません。
          それはその通りであるし、出歯亀をしたその本人も、これは犯罪行為であり、決して許されるべきことではないと判ってます。そう、判っているのですが、にもかかわらず……。
          デバカミズムとはそんな出歯亀の病理的な究明なのです。社会的には、出歯亀と言う行為は犯罪であり、被害者も出します。ただし被疑者は、被害者のことを恨んでいるとか、傷つけようとか、迷惑をかけようとか、言うものではなく。また窃盗のたぐいでもないので、出歯亀が何らかの利益を得るわけでは有りません。結局、出歯亀という行為は、被害者には申し訳ないのですが、独りよがりの楽しみなのです。その独りよがりの楽しみ、出歯亀の美学とでも言ったものをデバカミズムというのです。
          気がついたら、「出歯亀だ」「戦地で戦っている方々がいるのに、いい若いもんが。」「まったくだ」「はじっつぁらしだ」って言われて。よく分かっています。出歯亀がどういう行為かと言うことは分かっています。招集前にこんなことをしてしまって……。でも何だかとてもきれいで……。婆ちゃんになんて言ったらいいでしょうか?
刑 事  婆ちゃんにか……。おめぇん家(ち)は婆ちゃんと、爺ちゃんと、おめぇだけだってなぁ。で、おめぇは、召集令状きてから、身延山と後は何処に行ったんだ。
大 星  はい、身延山と……婆さんは熱烈な日蓮信者でした。ですから、日蓮宗の総本山、身延山へ行ってこいと言われ、身延山へ行きました。
刑 事  それは分かったから他には、何処も行かなかったのか? え?
大 星  (小さい声で)横浜の本牧へも行きました。

    あまりに小さい声で、刑事には聞こえない。
   
刑 事  え? 何処だって?
大 星  (少しだけ大きい声で)横浜の本牧へ行きました。けど、いったけど……、肝心の……卓袱屋(ちゃぶや)が……、迷子になって、ぐるぐる回っただけで、帰ってきました。
刑 事  ……。
大 星  亀の湯を眺めてたんです。ただ綺麗だなぁと思って眺めていたんです。で、気がついたら……、亀の湯の脇に立っていて、……そして「出歯亀取った!」って……。
刑 事  おい、おめぇ、カフェー好きか?
大 星  好きです。タンゴが大好きなんです。……でもカフェーの外で聞いていただけです。え? それも、出歯亀ですか? 僕はただ聞いていただけです。何も悪さをしていません。時々はちゃんと隣の焼きそば屋で、焼きそば食べながら聞いていたし、カフェーにも迷惑を掛けていません。だいたい、……、女給さんにチップ……いくら払っていいかも分からないし、金も無いから、入ったことも無いです。
刑 事  分かった分かった?
大 星  銭がないんです。早くに二親を亡くして、爺ちゃんと婆ちゃんに育てられているんで、働いてはいるんですが……、銭がないんです。
刑 事  ……。
大 星  ……。
刑 事  で来週には入隊か?
大 星  はい。
刑 事  そうか赤紙が来たか……。しょうがねぇな。なら行くか? そうだな、行くしかねぇな。よし行こう、さぁ行こう。うん、どうした、行くぞ。
大 星  はい、でもどこに行くんでありますか?
刑 事  ハハハァ、おめぇバカか? スケベ大星、ついて来い。

    埓はそう言うと、巡査に声を掛け、さっさと交番を出て行く。大星残る。
    エピローグ
   
大 星  埓はこのあたりの仕事師、鳶の一家である。珍しい名前と思うが、この砂町には多くある名だ。砂町にあるカフェーも埓であった。このカフェーからはいつも、ぼくの好きなドイツ・タンゴを演奏する、バルナバス・フォン・ゲツッイ楽団の音楽が聞こえた。当時はタンゴと言えばこのゲッツイであり、今のようにアルゼンチンタンゴではなかった。そしてこのカフェーでは、戦時下になってからも、ゲッツイのタンゴの音楽がながれ、その音楽に合わせて歌い踊るにぎやかな音が、表にまであふれていた。いつもぼくはその流れ出る音楽につられて、カフェーの前まで行くのであるが、カフェーには入らなかった。それでも時々は、その隣にあった同じ埓のヤキソバ屋で、ヤキソバを食べながら、ゲッツイのタンゴを聴いた。
          ぼくはこのカフェーに入らなかったのではない、入れなかったのである。銭がなかったのだ。女給に渡す分がわからなかったし、その余裕はなかったのである。
          女給にたかられるのが怖かった、勇気がなかったのだ。
          埓刑事がぼくを連れて向かったのは、このカフェーであった。ぼくはこのカフェーに二度目の出征祝いで初めて入れた。埓刑事は軍に招集されているぼくを、いくら出歯亀が犯罪ではあっても、捕まえるわけにはいかなかったのであろう。そして彼は、ぼくを捕まえるどころか、これまで入ることが出来なかったカフェーで、朝まで遊ばせてくれたのである。彼はぼくが、ゲッツィーのタンゴが好きであるのに、カフェーに入れないでいたのを、知っていたのかもしれない。
         
          これぞマドロスの恋
          いかりはくわせぬ俺の胸
          めぐる港・港に
          花は咲く バラは咲く
          甘き(い)夢の一夜
          明けりゃおさらばよ
          これぞマドロスの恋
          俺の恋は(名こさ)流れる雲と波