これらの作品はボードビルとして、上演することを目的として編集したものです。2014年4月から、音楽のライブ活動のように、ホールでは無く様々な場所で公演したいと考えています。作品の紹介と、演劇活動の普及と勉強の場を作りたいと考えています。
巷の様々な表現活動の中で、映像、音楽、美術はそれぞれの場を得ています。ですが、演劇はその場を失い、映像と商業(ショウビジネス)劇場の中で細々と活動しているのが現実です。
その理由の一つは演劇は舞台と言う場を必要としているからです。その上、その場を空間だけで捉え、生活空間の部分として捉えることができていないからです。

映像や音楽そして美術は生活空間の中に入り込んでいます。生活の一部としてなくてはならないものとなっているのです。音楽は巷に溢れているばかりではなく、一人一人が身に着けるようになりました。また、美術は音楽を始め、すべてのモノというモノになくてはならない存在です。そして映像は最もわかりやすく、大衆性がある表現としてまさに生活の一部となっています。映像の持つ影響力は計り知れず、その問題点は論をまたなくてはなりませんが、いずれにせよ、芸術文化の大衆化、民主的発展は映像の力があったればこそです。
つまり、演劇だけが生活空間から取り残されてしまったわけです。文学も難しい情勢ですが、演劇ほどではありません。
それは、演劇が集団の創造であるということです。文学は、こつこつ一人で勉強する道もありますが、演劇は一人ではできませんし、また一人で演(や)ってはならないものなのです。そのうえ、演劇は瞬間芸術ともいわれ、観てもらって始めて完結するものです。生活空間からはみ出てしまった演劇は、消滅の危機に瀕しているといっても、過言では無いのです。
そこで、ボードビルを考えたのです。大衆性と機動性のあるボードビルで、もう一度生活のなかから、演劇を捉え直してみようというのです。
大橋先生の作品は生活の中から生まれた作品です。戦後復興の最大課題は人間復興であったはずです。そして、その復興の中心的役割を担ったのはプロレタリア・リアリズムでした。人間復興に、また生活(生きる活力)に必要な、演劇を担うに適う人間として、プロレタリアから選ばれ、答えて劇作家となったのが大橋喜一その人です。
いまこそ、大橋喜一を読み返し、大衆に戻る必要があるのです。